パインツリー・オーナーの旅行記

この掲示板に、
オーナーの旅行記・・・旅行に出かけたつれづれを書いてみました。
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オーナー Saturday, 1/10 20:19

  山陰・出雲地方を訪ねる旅 平成20年10月29日〜31日 

 旅行のメンバーは旧ホテル組合の渡辺さん・大森さん・吉村さんに、私の4名で出掛けた。
2ケ月に1度集まり、食事会を兼ねて積み立てをしている。9月中旬に出雲に決まり、すべての
段取りを任されたと云うか、引き受けた。毎度の事なのだが勉強にもなるし、結構好きなのである。

 今回の旅行でエアチケットを予約する時、驚いた事がある。それはネットでJALに繋ぎ航空券を
買うのだが、予約してクレジットカードで決済を済ませると、搭乗チケットがプリンターから
プリントアウト出来た事だ。発券所が要らなくなった。プリントした用紙にバーコードが書いてあり
それを空港セキュリテイーのリーダーに読ませてチェックイン。その後、もう1回、搭乗ゲートで
リーダーに読み込ませて機中へ乗り込む、これだけである。 
 一体どこまで便利になる事やら・・・有難い事ではあるが・・・。 

10月29日   5:30  集合・出発    遠山宅
         8:15  JAL1663便    羽田出発
         9:40    :      出雲空港着  
  
 中央道を大月IC辺りまで来たところで、東の空が良い塩梅に焼けて来る。鱗雲に赤みが射し 
実に綺麗だ、悔し〜〜いが、どうにもならない、車のハンドルを強く握るのが精一杯であった。
1時間40分程で、空港近くの民間駐車場へ車を止めた。
 機中で隣席の方に声を掛けると経済新聞の方で、平木記者だ。やはり石見銀山へ取材に
行かれるとの事で、名刺交換させて頂き、色々と情報を教えて貰った。
「話すのは一時の恥、話さぬは一生の損」そんなところだろうか。あっという間に出雲に着いた。

 過日、平木さんからメールを頂きましたので、記事を掲載させて頂きました。 
  日本経済新聞社記者 平木協夫氏記事 

 トヨタレンタカーにて予約しておいた「プリウス」を借り、出雲の地を走り出す。
石見銀山へ続く高速道路が無いのが不便ではあるが、2時間程で  銀山世界遺産センター
着いた。
 まだ出来立てのセンター内で、銀山の歴史、工法、世界遺産への道など学び、車で大森Pへ
たまたま空いたスペースに車を止め、食堂を探す。蕎麦屋はあるが、ご飯物を出してくれる
店が見つからない。大森さんは珍しい事に、蕎麦・うどんがダメな人なのだ。探し出した
 朝日庵 で、うな丼を食べたが、私達が入ると一杯になってしまった。平日だったが
世界遺産効果なのだろう、障子の向こうを往来する人並みは多く、静かな通りに観光客の声が
場違いに聞こえた。この様子だと、休日には町が観光客で溢れ、住民生活がままならない事が
想像出来る。
 
 お腹が一杯になった所で、近くの 石室山 羅漢寺 を訪ねる、石室内の羅漢様が見事だった。
大森の町から龍源寺間歩までは2.3キロ、自転車を借りて行こうとしたが、自転車も
予約中で借りられず、川沿いの遊歩道を徒歩で向かった。途中に清水谷精錬所跡などあるが
ずっと登り道なので、女性はスニーカー等の動き易い支度が肝心だ。石見銀山 龍源寺間歩
中に入ると、鉱脈に沿って掘るので、結構狭い所で作業していたのが判った。16世紀の
大航海時代、ここ石見で産出した銀が、世界の三分の一を補っていたとは凄い話である。

 15時、石見を後にして 三瓶小豆原埋没林公園 を目指した。 
この公園は、縄文時代に起きた火山性岩層なだれで、巨大杉林が一気に飲み込まれたものが
近年発見され、保存展示されている公園だ。保存の為切った切り口からは、良い杉の香りをまだ
発していて驚いた。
                          
          6:00  玉造温泉到着  保性館 

            
                            
 ホテル到着後、風呂へ入り一段落し、さて写真の整理でもと、持参したPCを取り出した。
いつも通りカメラに繋ぐと1日の思い出が行程順に出て来る。偶々、失敗した写真を見付け
プチット押し、削除マークを押すと、何と言う事か!消えて行くではないか・・慌ててみても
後の祭り、思い出写真はPCの中に吸い込まれてしまった。何という事だろう、こんな事は
初めてである。  教訓「大切な作業中は、いつもと違うPC操作はしない事・・・」
皆さんの大切な想い出を消してしまう大変な一大事であった、1日目で起こった事に感謝だ
  皆さんに、平謝りで謝った事は、ゆうまでもない。

 コンパさん2名を呼んでの宴会ではあったが、心が引けてはいたが結局、11時まで延長し
楽しんでしまう玉造温泉の夜だった。

   30日    9:00  玉造温泉 出 発


      

 出雲大社を 目指した。
駐車場から、参道をショートカットして歩いた。広大な敷地、荘厳な佇まい、さすが
全国の神が集結する出雲大社、神様がお泊りになる建物まである。お参りした後
 出雲大社 北島国造館を通り抜け、最近出来た島根県立古代出雲歴史博物館へ向かった。
博物館では、収蔵品の多さ、特に銅鐸・宝剣の数の多さに驚かされた。また、3本の巨木を
束ね柱を作り、高い所に神殿を造った技術には驚嘆させられたが、まだまだ、すべての謎を
解き明かすには時間が掛かりそうだ。   

         

松江市内に向かう、30分程で松江城の見える堀川端に着いた。昼を近くの 季節の風 蔵
食べた。メニューを見たらエビかつ丼があり、珍しいので食べてみた。エビフライを卵で
とじたもので中々美味しかった。

          

 食後は、予定していた「松江城堀川船めぐり」 に乗船した。周囲の建物が良く保存され
時折走る車が無ければ、脇差にちょん髷のお侍さんが出てきそうだ。乗り合い船は、屋根が
稼働式になっており、低い橋を潜る時は屋根を低く下げ進む、堀の左右から木々の枝が
張り出した所では、ジャングルクルーズの様相を呈し面白い。大きな橋の下を通る時
船頭の歌う民謡にエコーが利いて心地良かった。小泉八雲が愛した松江、今も城下町の
雰囲気を醸す良い街だ。




            
                          
  小泉八雲記念館
 丁度暗くなり始めた頃、皆生温泉”菊乃屋”へ到着した。
通して運転していたので疲れがピークに達し、畳に1時間ほど寝てしまった。
ここの宿の特徴は、ロビーで社長が弾き語りのミニコンサートを行う事だ、この夜も
30人以上の人が聞いていた。各部屋には、社長の大伯母の書が飾ってあったり、随所に
さり気無くご案内があり、気遣いの行き届いた宿とお見受けした。
 この夜もコンパさんを入れ、結局11時まで皆生の夜を楽しんでしまった。

       4:00  皆生(かいけ)温泉到着  菊乃屋 

   31日    9:00 出 発、足立美術館を目指した。

40分程走ると足立美術館の看板が見えて来るが、その手前に安来節演芸館がある。
広い駐車場に車がいないが気になったので左折した、すると和服を着た関係者が
手を振っている、その手に呼ばれる様に駐車場に車を止めた。後10分でショーが
始まるとの事、皆で入場する事にした。
 丁度、家元4代目渡部お糸さんが出演し迫力ある喉を聞かせてくれた、民謡もだが
本場での生は最高の贅沢だ。コミカルなドジョウ掬いもまた、良かった。また、何より
良かったのは、ご覧の通り全員で7名の客に、手を抜かず公演してくれた事だ、プロ
根性を見せて頂いた気がした。安来へ行った際は是非、お勧めポイントである。

                  

 直ぐ隣に 足立美術館 はあった。
入館料2200円高いと思ったが、中に入ると考えが変わり、安いと思えた。5万坪の大庭園は
さすがに日本一の称号を6年取るだけのものがある、気品を感じさせ、どこから観ても絵に
なる庭で、借景としている山まで庭園と化している所が素晴らしく、無限の大きさを感じた。
 庭園の好きな方は是非、行って観る価値がある。
蒔絵も横山大観も 北大路魯山人 も地方の美術館では、どれか1点あれば目玉になる
お宝揃いに驚いた。




          

 次に大根島の 由志園へ立ち寄り庭園を見たが、足立美術館を観た後だったので 
見劣りがしてしまった。ここだけ見れば、素晴らしい庭園なのだが・・・。


   

 境港港へ向かった。
昨夜、コンパさんから聞いた 食堂”かいがん”を見つけ入店した。
お刺身盛り合わせ丼1200円、旨かった。お腹が一杯になった所で、近くの市場で
お買い物タイム、カニ・イカの一夜干し・アマエビなど買い求め、家に送った。 
                                
         
 
 境港は漫画ゲゲゲのキタロウの生みの親、水木しげる先生の生誕の地だ。
フライトまで時間があったので、キタロウで町起こしをしている境港商店街を
ブラつき 水木しげる記念館 を訪ねた。
平日ではあったが、人目で観光客と判る若い人達がスタンプラリーを片手に
散策を楽しんでいる。この街は、日本の街起こしの中でも成功した事例なのでは
ないだろうか・・・。この街は、妖怪に頭が上がらない。  

 出雲空港至近にあるトヨタレンタカーへ車を返却した。3日間の走行距離460キロ 
ガソリン代は3000円掛からなかった、プリウスは最高に燃費が良い車、遠乗りには
お奨めの車だ。                    
                         


 妖怪道53次 が面白かった。

         16:30  JAL1668便   出雲空港発
         17:50     :       羽田着       
         21:30  吉田 着       解 散         

 予定通り全員無事帰還した。
旅は無事帰れば99%大成功、良い旅であった。







オーナー Saturday, 10/25 18:40

 平成20年度(22回)商工観光サービス部会視察研修旅行
                             平成20年10月21〜22日

     ----- 21日 -----




 10月21日(火)・8時、商工観光サービス部会会員15名を乗せたバスは富士吉田を
出発した。河口湖ICから中央高速に乗り、圏央道、関越自動車道を通り、東松山ICを
目指す、 一部、一般道路を走るが、予定通り11時には 足利学校 へ到着した。
 500年以上前に出来、大学の役割を持った学校だ。日本中から秀才が集まり勉強し
体得して郷里へ帰り、学んだものを教える。こうして国の礎を築いて来たのが理解
出来た。足利市と富士吉田市はご縁が深い、戦前・戦後を通し、富士吉田市織物の
技術発展は足利市の方々に技術指導を受けた賜物で、足利市には恩がある。昔、機屋の
長男として生まれ、機を織った事のある身としては、足利市を訪問出来て良かった。




 昼食後、 富岡製糸場 へ向かった。
バスを離れた駐車場に置き300メートル程歩くと、右手の塀の向こうに巨大な
建物が目に入って来る、富岡製糸場だ。
 ボランテアガイドさんの、熱の伝わる説明を受けながら広い敷地を歩く。 
明治五年と書かれ礎石、歴史が圧し掛かる様に、136年前に建築された工場が
圧倒する。嫌が上にも明治人の気骨、迫力を感じた。富国強兵、列強国に追い
付け、追い越せ、その為には、すべてを犠牲にして頑張れ・・・と、「ああ野麦峠」
の辛い女工の話を思い出したが、ここでは違っていた。今と大体同じ8時間労働
290日就業し、休日もしっかりあったそうだ。監督官のフランス人がワインを飲んで
いるのを見て、血を飲んでいるといったデマが広がり、募集しても女工が集まらず
各府県に人数を割り当て募集、数百人の士族の娘などが集められ働いていた。
 工場施設の脇には病院まで作られ、フランス人医師を常駐させ手術まで出来る環境が
整えられていたし、明治18年には夜間学校まで設けられ、「ああ野麦峠」の女工達
とは覚醒の如く懸け離れており、随分恵まれた環境なのだと判った。
 富岡製糸場は明治政府が国策で創ったモデル工場といったところだろうか・・・
そして、ここで研修し学んだ女工は全国に散り、各地に富岡を真似た工場で
講師・先生として、技術指導を行った。 



 見学の後、2号館(女工館)にて、富岡市役所世界遺産推進課長、商業観光
課長の皆さんと、意見交換を行う。
 平成15年までは見学者が、1万人に満たない数が、平成17年(2005年)7月14日
付で「旧富岡製糸場」として国の史跡に指定され、平成18年(2006年)7月5日には
明治8年(1875年)以前の建造物が国の重要文化財に指定された。なお、全ての
建造物は平成17年(2005年)9月30日付けで地元富岡市に寄贈され、現在は市が
管理(富岡製糸場課)を行っている。平成19年(2007年)1月23日には文化審議会
文化財分科会で「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産暫定リストに加え
られた途端、年間26万人もの観光客が訪れ、戸惑ったに違いないが、平成20年も
昨年度対比と同じ推移で増加している。市内へ直接30万人近くの観光客が訪れるのは
羨ましく思う。

 富岡製糸場が世界遺産暫定リスト入りし、脚光を浴び観光客が増える中で
市民の意識が遅れているとのお話があったが、これは時間が解決する事で
問題意識を持ち、市民と行政が一緒になって改善して行けば解決出来る事だろう。

       「 伊香保温泉 」



 18時、伊香保温泉「ホテル福一」へ到着。
肌に優しい温泉を楽しみ、宴会後、自然発生的にカラオケバーで2次会となった。
23時解散して部屋に戻るが、飲みつつ語る会となり、2時まで頑張ったが睡魔に負け
席を外し布団へ潜り込んだ。朝、聞いた話に寄ると3時まで語りあったそうである。
何度か参加した中で、今回の旅行が一番打解ける事が出来、思い出に残る楽しい
伊香保の夜だった。  
 習性で、寝ていられない。6時に起床して散策した。
伊香保温泉は石段の街、暮らすのは大変だと想うが、石段と両脇にある建物が
ノスタルジックな雰囲気を醸し、店先にある祭りの写真や、昔の風俗を写した写真が
飾られ、石段には菊の鉢が所々に置かれたり、案内板なども工夫に富んでいて
旅人を持て成そうとする配慮が、あちこちで感じられ、とても気持ち良い街だ。
 2階の窓から、石段を下る小学生に手を振るお母さんが印象的だった。

     ----- 22日 -----





 宿を9時に出発し榛名山ロープウエーへ向かった。
榛名山、別名「春名富士」と呼ばれるだけあり、途中から見える榛名山は、しっかりと
二等辺、御山のシルエットが逆光に浮かび上がっている。榛名湖周辺全体が霞に包まれ
余り透明感は無かったが、その中を3分でロープウエーは頂上まで昇った。
 徒歩で5分、神社まで歩く。頂上神社鳥居に「冨士山神社」と書かれた扁額が
掛かっており、こちらの神社のご祭神は、我等が”此花咲耶姫様”であり、嬉しく
なった。隣にいた、富士山を仕事場にしている'ごうりきの近藤君がボソッと言う
「リタイヤしたら、全国にある富士山を回ってみたいな・・」と、それも面白いかも
知れないと思った。

   「 鉄道博物館 」





 次に鉄道博物館へ行った。
巨大な伽藍、すべてが本物だ。丁度15時、蒸気機関車の方向転換ショーが行われており
180度向きを変えながら汽笛を鳴らす「ブオー!ブオー!」腹まで響く音、なぜか
郷愁を誘う音だ。見学時間1時間は勿体無い、半日位掛け、男の孫でもいたら一緒に
見たいものだ。
 鉄道の歴史は近代日本の歴史。1860年、今から、たった150年前の事である。
黒船が到来し、長い眠りから目覚め、明治政府は殖産興業政策・富国強兵を計り
富岡製糸場をモデルに絹糸を輸出し外貨を稼いだ。その間、諸国に渡り勉強し、模倣し
列強に追い付け、追い越せと努力して来た明治人。
 今、日本は戦後一番の難局に向かっているが、明治人と同じDNAを持つ我々に
出来ない事は無い。150年の鉄道の歴史を観て思った。

   「 山本容子展 」 
  

 2Fの壁にステンドグラスが填め込んであった。
「山本容子展・過ぎ行くもの」と題しての展覧会だ、浅田次郎・嵐山光三郎・中沢新一ら
10名のエッセイをモチーフに1枚ずつ創作したもので、赤の炎、水色の水で蒸気機関車を
現し、客車内の色んな人生模様を10枚のステンドグラスに映し出した逸品。
 観ていて心踊り、一緒に仲間に加わり旅がしたくなる、そんな作品だった。

 帰路は、過日事故のあった首都高トンネルを初めて通り帰って来たが、停滞も無く
7時前には着いた、今回もまた実り多き研修旅行であった。


オーナー Thursday, 4/17 07:37

  掛川ツーリングレポート♪ 

 4月12・13日「ぶらっと!掛川ツーリング」へ行って来た。
ぶらっと!」はインターネットを利用した日刊ブログ新聞で、会員みんながそれぞれの
視線でとらえた地域の話題を「記事」として発信するコミュニティメディアだ。
 一昨年の9月御縁があり、編集長の野口さんと知り合い、勧められるまま山梨の
ライターとなり、富士山麓の風景写真を中心に投稿して来たが、3月末をもって
編集長を卒業される運びとなり、同窓会・送別会・ご苦労さん会も含んでおり
掛川の 長谷川さん を中心に「掛川ツーリング」として、隣の県での開催とあっては
土日の忙中ではあるが、編集長の卒業式、もー!ジッとしていられません。
それに、掛川は スローライフ運動発祥の地 でもあり、一度訪ねてみたい所だし
家内に頼み込んで無理やり了解を取り、直前の金曜日に滑り込みで参加表明をした。
直前で長谷川さんやスタッフの皆さんを慌てさせ、大変申し訳ありませんでした。
     


 ・ローカル線に揺られて「ぶらっと!懇親会」

 4月12日(土) 12:00掛川駅北口集合
時間があったので、東海道線富士駅から鈍行で下り30分前には到着予定が
掛川駅到着が10分遅れてしまった。
 北口へ下りると構内には知った顔がアチコチに・・・何となく嬉しくてハグしたい
衝動に駆られたが、60オヤジのハグでは絵にならないので止めた。

 スケジュールは、こんな感じ・・・  
12:52 天竜浜名湖鉄道 ・掛川駅発→14:29佐久米下車→春の浜名湖
散策1時間20分→15:45東都筑にて乗車→17:19掛川着・解散



 サポートの自転車部隊が電車内へチャリを持ち込んでいた。
天浜線は自転車の車内への持ち込みがOKで驚いた、このサービスは
サイクリストには堪らなく嬉しいサービスではないだろうか、行けるだけ行き
疲れたら、帰りは電車で・・・が、可能になる。
 電車が動き出すと、早速ビールが振舞われ電車内宴会開始。編集長は
日本酒「喜久醉」の一升瓶を片手に持ってお酌して回り、車内を行ったり来たり・・
笑っちゃいました。(失礼)
 また、長谷川さんが全国へ貢物での参加の呼び掛けたのが功を賞し、各地の
土産が集まり、参加したライターさんお持たせの土産も配られ、甘いものやら
辛いお水まで頂き、良いご機嫌に・・・。配られたお弁当もコンビニ弁当と違って
各食材それぞれが互いに自己主張をし、持ち味を出していた。  
 地産地消を推し進める当地だから出来る技かも知れない、美味しく頂いた。



 佐久米駅で降り、田圃に咲くレンゲを見ながら歩いた。道路脇には洒落た
無人販売所があり、みかんを売っていた。思うに、無人販売所がある地域は
豊かで暮らしやすいのではないかと思う。商品を無人のスタンドに置く農家も
また、買ってくれるお客様も、信頼の糸で繋がっている。こうしたスタンドが
続いているのは豊かさの証明だ。
 次に、浜名湖の岸辺を歩いた。打ち上げられた貝の欠片が帯の様に
続いている。何気なく踏むと靴底にサクツ!サクツ!と、何とも心地良い音が
伝わって来た。音が立つのが嬉しくて、岸辺の貝の帯を探して歩いた。

 

 海辺から一転し、帰路は丘を登った。ウグイスが鳴いているのが聞こえる
過日、春遅い富士山麓で聞いたものとは格段の相違で上手だった。気温は
18℃くらいだろうか、標高が高く、気温の低い富士吉田市から出掛けたので
ポロシャツ+ベストでも汗をハンカチで拭き々の散策だった。それぞれが
思い思いに立ち止まり、チョット行列が遅れたが無事、東都筑駅にて帰りの
電車に乗車した。
 電車の中では名田さんの入っておられる『 松崎蔵つくり隊 』の皆さん協力
による、光る カラフル泥団子 製作の遊びが待っていた。段取り良くエプロン
スチロールのトレイ、ヘラ、フィルムケース、そして乾燥させた団子が配られ
松崎町の関さんや同行の隊員指導の下、色付け、乾燥、磨きを行い、全員
それぞれが光るカラフル泥団子を完成させ、お土産として袋付きで頂いた。
 感謝である。漆喰を磨けばこんなに光るなんて・・・凄い!自分も磨き込んで
漆喰の様に光を放ちたいものだ。 どなただったか、私の額を磨き隊と
おっしゃった方がいらしたが、そんな光かたでは無く、男として燻し銀の様に
渋い光を放ち、存在感のある男に磨いて欲しいものだ(笑)



  電車からバスに乗り換え、宿泊先の「 ならここの里 」へ向かった。 
「ならここの里」は山間にあり、原野谷川を挟んで佇んでおり、川を流れる水の音が
一番大きい音源だった。温泉に浸かり7時30分から11時まで、管理人の
いなくなった奥の食堂で延々と交流を持った。普通の宴会場では、こうは行かない
手配して下さった掛川衆の、先を見通した配慮に感服した。
 取り合えず解散。男性棟と女性棟に別れ泊まったが、2次会は男性棟で
飲み、話し、解散は1時30分。それにしても「ぶらっと!」の女性陣は酒が強いし
体力も並外れたものを持っている、これも普段から行動している賜物か・・。

 ぶらっと隊の朝は早い!7時30分朝食だ。
昨晩、紹介された 柴田牧場の ジャージー牛乳 がテーブルに並び
地元で取れた野菜・ハムを使ったサンドイッチを頂いた。
味は勿論!一味違っていた。私は普段、胃が弱いので?朝、牛乳は飲まないが 
しばちゃんちの牛乳は、飲んでも下す事は無かった。食後、散歩をしたが山々は
緑に萌えており、遅咲きで満開のサクラもあった。山々は秋と春に、より一層輝きを
増す。春は良い、枯れていた枝に新芽が芽吹き、新しい命に満ち溢れ、山が膨らむ。
 原野谷川に掛かるつり橋を祭りの準備で渡る人々の上に、サクラ吹雪がハラハラと
舞、とても綺麗だった。ぶらっと隊とスタッフを乗せたバスは「ならここの里」を後に
柴田牧場へ向かった。



 柴田牧場のショップで休憩を取り、牛舎へ行った。ジャージー牛の
ウルウルした大きい目が印象的で可愛かった。次に茶畑のど真ん中にある丘
五明(ごみょう)彗星発見場所へ行った。掛川市在住のアマチュア天文家
西村栄男氏を称える碑があった。茶畑が山の稜線に沿って幾重にも等間隔で
並び綺麗だ。



  次に「 ねむの木こども美術館 」へ行った。
ドングリをモチーフにしたものだそうだが、海好きの私はナポレオンフィッシュの
方が良いと思う。ナポレオンの額部分が宮城まりこさんの作品展示場にもなっており
ガラスを加工したオブジェがあった。その部分は球体をしており、さながら子宮の
イメージだろうか?胴からシッポ部分には子供達の作品が飾られ、その見事な発色と
自由な色使い、根気に圧倒された。美術館の隣にある民家の枝垂れザクラも、見事に
咲いていた。

 山を下り、天浜線と平行して走りバスは止まった。
佐藤君お奨めの、田んぼと併走した道路で直線が3キロ続くのだそうだ。
良いな平らな所は、富士山麓は富士山からの傾斜地にへばり付いているから
これだけ平らで真っ直ぐな道は無いのだ。チャリで天浜線の電車と勝負したくなった。
いるだろうな?そんな奴が掛川にも・・・。そして、何より良いのが電柱が無い事
この景色をいつまでも残したいものだ。海に近い田んぼには、既に田植えを
終え、苗間から一人立ちした稲の子達が、初夏の陽射しを受け気持ち良さそうに
揺れていた。


           キューイの新芽  ニッキの葉
 
 次は、昨晩紹介された キューイフルーツカントリーJAPAN の平野さんちを訪ねた。
色んな種類のキューイを頂き、キューイの棚の下で説明を聞いた。妹の所にある
キューイも、元は平野さんちの子孫だったのだ、ヘー!

 昼食は「掛川そば研究会」の皆さんが、渾身の手打ちそば3種類を振舞ってくれた 。
三種類の内訳は桜蕎麦、茶蕎麦、田舎蕎麦だったが、研究会の域を超えた蕎麦だった。
味良し、茹で方良し、香り良しで、三拍子が揃い踏み。今まで色々な趣味をして来て
もう何物にも手は出さないと決め、パソコンと写真だけを追求しようとしていた決心が
揺らいでいる。私も美味しい蕎麦を打ちたい!などと云う、煩悩が頭の中で渦巻き
出した。

 この事はさて置き、場所は何と!井村さんち。井村さんは、家を画家さんに開放して
絵画の展示までしていた。凄いのは、洗い物を家の中まで持ち込むのは大変と、流しを庭に
作ってしまったり、ガレージか?作業場なのか?大型冷蔵庫まで備わり、皆で使うには最高で
人が集う「たまり亭」です、私も欲しくなった。



 長崎県千々石(ちぢわ)の松本由利さんから 頂いたエソ。山吹さんが最初にエソに
噛み付き美味しいと言い、皆が後に続いた。この歯、この姿のエソに噛み付いた
山吹さんはエライ!




 午後からのツアーは、街なかウォーク・街なかサイクリング・車でお茶畑・街なかで呑むの
中から、街なかウオークを選び参加した。一級建築士の高橋さんが案内して下さり、建築家の
立場から、道路を広げ街を作る事の是非のお話をお聞きし、成る程と思った。街は路地も
あったり、大きい道路も合った方が良い。人を優先するのか?車を優先するか?古い建物を
大事にするのか?新しく建物を作るのか?が、大いに問われる。
 武家屋敷・大日本報徳社・竹の丸・十九首塚・掛川城御殿・長屋門の武家屋敷を回り
NPOの事務所に戻ったが、誰もいなかったので高橋さんが、最も静岡らしいデイープな駄菓子屋
「すいのや」に案内してくれ、静岡おでんを頂いた。歩き回ったので小腹が空き、美味しく頂いた。
 車でお茶畑隊が来た時には、残念な事に売り切れで、食べられなく、自分達だけで申し訳なく
思った。他のチームも集まり、NPO前で掛川式神社手締めをして、ツーリングの無事終了と帰路の
安全を祈り解散した。

 楽しい2日間であった。掛川の豊かさ、懐の深さを、海辺と山を歩いて体感した。
商・工・農のバランスも程好く取れており、羨ましい限りだ。何より人が素晴らしい!
この街に住んでいる事の誇りと自信と笑顔に満ち溢れているスタッフは、淡々と与えられた
仕事をこなす。スタッフの皆さんお世話になりました、感謝・感謝でございます。
また、全国から貢物を送って頂いた皆さんにも感謝で一杯です。「ぶらっと」の底力を
見た気がします。
 そして、掛川ツーリングを最初にテーブルに載せてくれた、井村さん、佐藤さん、レイコークンさん
長谷川さん、ありがとうございました! 掛川を堪能させて頂きました。

 お世話になったお返しは何にも出来ませんが「掛川ツーリングレポート♪」として、まとめ
当方ページをご覧になっている皆さんに、掛川を知って頂く事で、恩返しの一部になればと
思っています。お世話になりました。          
                                      遠山喜一郎                 
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オーナー Thursday, 12/13 10:28

 青森旅行 平成19年10月29〜31日

               ----- 29日 -----

 午前5時集合、そして出発した。
6時40分、羽田に到着したが、月曜日で月末のせいか首都高は停滞寸前の混み方だった。
5時半、出発を考えていたが、5時出発で正解だった。車を楽々Pに止め、バスで送って貰った。
 ネット予約してあったのでチケットレスだ、機械の指示に従ってクレジットカードを入れると
航空券が4枚出て来て驚いた。毎年毎年、進化して来たが、発券のシステムは多分これが究極だろう。
とにかく早くて便利だ。定刻から10分程度の遅れで飛び立ち、8時50分青森空港に降りた。
 
 今回の旅行は、旧ホテル組合の時から続いているもので、父親の代から数えて30年以上になる。
昨年まで5人いたが、残念な事に1人が積み立てを止めてしまい、4人になってしまった。2人は
父親程年の差がある70代、後の2人は50代、いつもの4人組で気心の知れた旅行だ。
 
 旅行の足としてトヨタプりウスを選んだ。丁度4人で小回りが利き、省エネタイプ、以前から
乗ってみたかった車だ。ドミノの駒に似たキーを差し込み、ボタンを押してエンジンが・・音は無い
掛かるのでは無くスタンバOK!と云った所だろうか、ギアをDに入れアクセルを踏み込むと音も無く
発進する。カーナビに電話番号入力して白神山地ビジターセンターを目指した。  

 白神山地ビジターセンター


 右手に岩木山が見える頃、小雨が降って来た。
世界遺産に登録された白神山地入り口、暗門の滝迄行きたかったが、雨の降り方が強くなって来たので
諦め、時間を掛けてセンター見学を楽しんだ。展示場に吊るされた、20メートルを超すブナの大木が
印象的だった。見学をして、益々ブナの森を訪ねてみたくなった。

 弘前城


 次に目指したのは弘前城だ、丁度、菊祭りをやってるとの事で予定には無かったが、そこは自由旅行の
良い所、行ってみたい場所などあれば直ぐに変更出来る。お城の周辺は一方通行が多く、城至近駐車場
探しに、ちょっとではあるが苦労した。菊祭りのテーマに風林火山があり、謙信と信玄が、由布姫が
菊人形になっていて、郷土愛なのだろうか、誇らしくさえ感じてしまった。
 見学を終え、駐車場のおばちゃんに教えて貰った郷土料理屋「菊富士」を訪ねた。比内鳥ランチを
食べたが、お値段の割には美味しく一同得した気分の食事だった。 

弘前・郷土料理菊富士HP             秋田県・大湯温泉 千葉旅館 HP
              
                 仲町・侍町 弘前市仲町伝統的建造物群保存地区

 お城近くの中町・侍町を、雨が降って来たので車で周った。各家の門が黒く塗られ統一されており
変な看板なども無く、すっきりとした印象を持った。住民の意思統一がされていて雰囲気の良い街だった。

 一方通行が多かったので、お城の周辺をグルグル周って気が付いた。弘前の街にはシャッター通りが
無かった事だ。どこの街にもあった、昔からの商店が店を開いていた事に驚いた。道路を走りながら
違いを探すと、バイパス沿いにシマムラを1店見ただけだった。青森県は、弘前市は大型店を規制して
いるのだろうか?!郊外に大型店のある街は、核である市内中心商店街が死んでいる、大型店進出は
は公害なのだ。

 岩木山へも行きたかったが、山に雨が降ると周りは霧と雨の世界、それではつまらないし、朝早かった事も
あり、宿へ向かった。大鰐弘前ICから十和田ICで降り、大湯温泉・千葉旅館へ入った。
各部屋から窓下に見える木々が紅葉しており、庭園が素晴らしい旅館だった。 

                ----- 30日 -----

 大湯環状列石・ストーンサークル


 9時、宿を出発し、ストーンサークルを目指した。
ただ広い芝生広場に円形に石を並べたものだが、古代の人々はここで何をしたのだろう?
祈祷や集会所・日時計またはUFOの発着場所等々不思議イッパイの場所であった。

 Uターンして十和田湖を目指した。
周りの山々は紅葉しており、木々の間を走る道路は、さながら紅葉トンネルの様だった。
発荷峠を下り休屋へ入った。平日にも係わらず、駐車場には観光バスが沢山並んでいた。
予定にはなかったが、遊覧船に乗る事に決なり、案内係りに勧められるままに車を子の口まで
運んで置いて貰ったが、これは車で旅をする者にとって嬉しいサービスだった。ゆっくり50分間
船上から錦秋の十和田湖を観る事が出来た。折しも紅葉は、水辺から上に100メートルが見頃を
迎えており、素晴らしい十和田湖の秋を堪能した。

 十和田湖







 船から下りると係りが車のキーを吊るし待っていた。鍵を貰い子の口を出て
奥入瀬へ向かったが、子の口が奥入瀬渓谷の最上流部、すなわち流れ出しだった。
混雑を予想して、当初は定期バスを使い、歩こうかと思っていたが、そんなに
混んでいなかったので、車でポイントを探る事にした。銚子大滝・雲井の滝
阿修羅の流れ・石ケ戸などへ車を止め散策して楽しんだが。思った以上に、川が
大きく、変化に富んでいて半日位時間を掛けて歩いても良いかも知れないと思った。
 特に、人工的な構築物(ガードレール)等が無く、すっきりと自然を表に出し
好印象を残した。

 奥入瀬




 奥入瀬を後に、八甲田山を目指した。
明治35年(1902)旧陸軍歩兵第5連隊雪中行軍遭難記念像を観に行った。
参加者210名中、199名の兵隊が命を落とした場所だ。平成の世に変わっても
ドライブインが1軒あるだけで、ホントに何も無い場所、草原と木々だけの世界。
これに雪が積もったらホワイトアウト!考えただけで空恐ろしくなる。
ロシアを目指しての耐寒訓練であったのだろうが、何と無謀な事を・・。
 映画、八甲田山死の彷徨のフレーズ「天は我々を見放したか・・!」を、思い出した。
 
 八甲田山


 八甲田山ロープウエーに乗る予定でいたが、ガスっており、天候が良くなかったので
取り止めにして、山を下りたが、ドライブインでカレーを食べ昼食とした。コップに
水を入れ、その中にスプーンが差してあったのが、何とも久し振りの光景で、懐かしさ
さえ感じてしまった。グラスにスプーンの差し込まれたカレーを食べたのは何十年前の
事だろう・・タイムスリップした瞬間だった。

 りんご園


 道路脇に立っていた看板に誘われりんご園に立ち寄った。
蜜の入った富士を購入し送ってもらったが、安くて美味しかった。

 ねぶたの里




 何軒かある「ねぶたの里」の中から、ここを選んだのは、祭りの体験が出来たからだ。
体育館をくっつけた様な建物の中には、祭りの屋台が並んでいた。豪華絢爛と云うより
質実剛健の方が合うだろう。針金、木材や和紙を使い歌舞伎物を表現する手法は素晴らしい
伝統工芸だ。15時にショーが始まった。腹に響く太鼓、心地よい横笛の演奏、屋台を
引き出し、皆で遊んだ。短い間であったが、ねぶた祭りの雰囲気を味わった。
 8月の繁忙期に開催される祭りなので、リタイアしないと無理だが、一度は訪ねて見たい
祭りだ。

 目の前に陸奥湾が広がる、浅虫温泉ホテルへ宿をとった。


----- 31日 -----

 青森県・浅虫温泉ホテル

 目前に陸奥湾、手前の島は裸島、奥の高い山は岩木山。

 棟方志功記念館 


 作品の中に「いろは・・」の文字をデザインしたものがあったが、文字の中へ
それぞれにデザインを変えた模様があり、その種類と多様性に驚いた。また、館内
ビデオで描くスピードを観て、やっぱり棟方志功先生は天才だ!と、確認した。

 三内丸山遺跡


 大型縦堀跡や道路など、縄文時代に完全な町を形成している事に驚いた。
  
 アスパル


 近代的な建物ではあるが、中がガランとしていた。唯一、津軽三味線の
実演を聞けたのが良かった。

 アウガ


 昨晩、お酌に来たお姉さんに教えて貰った店だが、店と云うより街だった。
地下は広〜い市場になっていた。外は寒いので、この方が買い易いし、売り易い。
普通のデパートと違って、新しい方向性ではないだろうか。これだけのスペースを
良く纏め、造り上げたものだ。中へ入っている商店でカニを買い送くったものを
食べたが、偶々だろうが今まで北海道で買った、それより一番美味しかった。

 11月中旬にはテレビで酸ヶ湯温泉に雪が降ったとニュースで流れた。
八甲田山、十和田湖は雪に覆われている事だろう。今まで気にしなかった街の
名前がテレビに出ると見てしまう。これも旅行の効果だろう。
 もっと、もっと知らない街を訪ねてみたい。


オーナー Friday, 6/22 21:41

    商工観光サービス部会東京研修旅行 平成19年6月19・20日

 19日

 19・20日、商工観光サービス部会東京研修旅行へ行って来た。
雨を覚悟して出掛けたが、2日間お天気に恵まれ汗を拭きながらの研修旅行だった。
 商工会議所の本部は皇居前にあり、東京商工会議所ビルの中にあった。
流通・地域振興部長 高橋氏が事業活動の取り組みや、全国各地の観光先進地の
お話を聞いた。地域資源を掘り起こし、ストーリー性を持たせ組み合わせや工夫を
すれば、観光資源となる。観光振興はまちづくりだとのお話に、痛く共感した。
笑い話で地価の話になり、足元の1坪が約1億円と聞いた、東京は恐ろしい所だ。


 研修後、同行した会員天野さんの娘婿さんが経営される丸ノ内ビル3F”メトロ”を
訪ねた。レデイスのお店で、上質のインポート用品を合わせたセレクトショップだそうだが
先程の地価の話もあり、下世話な話だが、家賃や売り上げが気になった。会社は富士吉田市に
置かれているそうなので、是非頑張ってもらいたいショップだ。


 午後から国会議事堂を訪ねた。小学校の修学旅行以来だ。
地元選出議員堀内光男先生の秘書さんが、案内してくれた。私の通行記章(ID)は
野田聖子議員のものだった。いつも国会はテレビで見るが、やはり本物の持つ空気感
雰囲気、迫力は、日本国の立法府である事を醸し出している。暗い室内写真は
国会中央にある塔内部で、高さが65m東寺五重塔がすっぽり入る高さだそうだ。
喫茶室で先生を囲み、コーヒーを頂きながら30分程雑談し、記念写真を撮って分かれた。


 午後6時、屋形船でお台場沖へ出たが、およそ幅4m長さ20mの船を、何度も
切り替えしをしながら、両方に30センチ程も隙間が無い所を操船するテクニックには
舌を巻いた。一応2級船舶操縦士の資格を持つが、こんな場所では操船出来ない。
お台場のフジテレビの前に停泊し、サンセットクルージング宴会となったが、さすがに
天麩羅は美味かった、揚げ立てを持って来るのでフーフー!吹かないと熱い位だった。
然しながら、おねーちゃんのいない宴会は、やっぱり詰まらないものである。

 20日

 9時半、東京を後に鎌倉へ向かった。
平日だというのに鶴ケ丘八幡宮前の信号周辺は、人で溢れ凄い活気だ。週末には
お祭り状態が予測され、市内に人出の少ない地方に住むものとしては、羨ましく
思った。大仏を見学し八幡宮へ参拝したが、大昔、小学校6年の時代に修学旅行で
江ノ島・鎌倉へ来たが、その当時、確か2合の米を全員が持参し、広間で先生が
回収したのを思い出した。今では考えられないくらいお米が貴重な時代の話だ。


 思いがけなく江ノ島水族館に寄る事になった。
当初は江ノ島の弁財天へ行く予定だったが、夏の様な日差しと疲労に負け
予定変更となったのだ。水族館は’02年に新築され、訪ねてみたいと
思っていたので、嬉しかったが、展示・内容共に斬新さは感じられなかった。
ショースタジアムから観える海と江ノ島を借景にしたロケーションは、他の
追随を許さない素晴らしさだった。 


 7時頃、御殿場ICを通り帰って来た。
皆はバスから下りた、車庫への帰り道が一緒の私は、まだバスの中だ
昭和通りを上って行くと、富士山の頂にオレンジ色の傘雲が覆い「おかえり!」と
合図に見えた。「ただいま〜!」と答え、家路についた。



オーナー Monday, 3/5 07:47

 木の花会旅行 石垣・西表島 平成19年2月19・22・21日

 2月19日〜21日迄、石垣島へ旅行に行って来た。
松山地区にある松尾神社の世話役をしていた時の仲間、とは云っても皆年上の方々
合計10名の夫婦であった。皆さん、夫婦の達人。孫がいて夫婦暦35年以上の
大ベテランである。 神社の世話役を終わった後、毎月カミさん達が集まり貯金会
をして、そのお金が貯まったので、今回の話とあいなった訳だ。

 一番若く、ネットもやっている事などからカミさんが会の財布を、ツアーを企画
立案から運転手まで私がする事になり、ネットで検索し、航空券の手配から宿、
レンタカー、西表島ツアー等、総ての行程の段取りをし、○天トラベルを利用し
飛行機のチケット、ホテルの朝食付きのツアーを予約した。2日分の夕食会場も
各2〜3軒用意して置いた。こういった芸当が出来るのもネットのお陰だ。丁度
10人乗りのワゴンを持っていたので、羽田空港までの往復に使った。

19日
 午前4時の集合・出発だった。
皆さん、定刻に集まり乗車し、羽田へ向かった。首都高も空いており、予約した
パーキングへ5時30分には到着、空港まで送ってもらった。ロビーで皆を待たせ
ANAのカウンターへチケットを貰いに行った。
「6時30分発沖縄行・トオヤマ様でございますね、女性の方5名様ハイ!
ございます!」 私「すいません!男性5名分は・・・?」「ちょっとお待ち
下さい・・・・」端末機のキーを叩き、暫くして「男性5名のご予約は
ありません!」「えッ!無い!」「そんな〜!」カウンター内の係りも一生懸命
探してくれたが、無常にも「ございません!」の返事が返って来た。搭乗
10分前だ。係りは上司と相談して「取り合えず正規料金でチケットをお買い求め
下さい。」カミさん達は既に出発ロビーへ入っていた。このままでは行けなくなって
仕舞うので、仕方なくカードで沖縄まで5名分18万5千円を決済し、慌てて出発
ロビーへ入ると今度は違う係りが「急いで下さ〜い、出発3分前です!」
ターミナルを端から端までジョギングをしながら機上の人となった。

 定刻から15分程遅れ南の空へ向け飛び上がった。
 気を使った挙句、空港内を走らされたり朝も早かったせいで
 睡魔に襲われ、いつしか寝ていたら病院関係者を探す旨の
 アナウンスが流れた。具合の悪い方が出たのだ。慌しく
 救命バックを持ち乗務員が走り、機長から関西空港へ緊急
 着陸するアナウンスが入り、飛行機は関空に下りた。お陰様で
 思い掛けなく、まず来る事などないであろう関空を見る事が
                出来たが、あのタンカで運ばれたおばあちゃんは心配だ。  

 993便は定刻から1時間遅れ10時20分那覇空港に着いた。
何でだろう?判らぬまま指定された1Fのカウンターへ行くと「遠山様、申し訳
ございません!」「ご予約は承っていましたのでお買い求め頂きましたチケット
代金はご返金致します。」「良かった〜!」 そして、航空券を渡された。見ると
男女の便・時間が違っていた。「飛行機を一緒に出来ませんか?」「お買い求め
頂きました便はコチラで、ツアー料金ですから、後は正規料金でお買い求め頂く
しか・・・」 後ろから声が掛かった。「同じ場所へ行くんだから多少時間が
ずれても良いジャン!」皆も相槌を打ってくれ、その様にさせてもらった。

 男性軍は1767便12時25分発。女性軍は関空での遅れの為に13時
10分発の臨時便とあいなった。13時30分男性軍は石垣空港へ降りた。
予約してあったレンタカーで一足お先にホテルへ入り、手続きを済ませた所へ
携帯電話が鳴り女性軍も到着した。手荷物をフロントに預け、心細いであろう
奥方をピックアップに向かった。空港の車寄せに並ぶ皆さんを発見、車のライトを
パッシングすると、手を振り、それぞれが乙女の笑顔で迎えてくれた。

      
   
      

 皆乗車し、川平湾を目指した。
左手に見える入り江は干潮で潮引き、砂浜と岩礁が広がっていた。川平湾の至近
駐車場に車を止めると、女性軍は一番にお土産屋へ入ってしまった。あらら
順序が・・・観光より、まずは土産なのだった。20分程見て・買い、満足した
様子で砂浜への坂道を下りた。石垣島と言えば、ここ「川平湾」目の前に白い砂浜
エメラルドグリーンの海が広がった。高台の東屋で記念写真を撮り次の場所を
目指した。行き当たりばったりの旅、道路沿いにある八重山民俗園へ入った。
園の中には昔の民家が移築されていて、流れてくる三味線の音が相まって南国の
雰囲気を醸していた。建物の表に回り込むと、おじいと少年が太鼓を叩き、
三味線を引いていた。さっきの音はテープでは無かったのだ。生で島唄を歌って
くれるサービスをしていた。良い!大好きだな、こう云う演出は、何より生唄が
最高、1曲終わると皆で大拍手をした。八重山民俗園は楽しいお薦め場所だ。

  
   
     

 次に訪ねたのは八重山鍾乳洞だった。
切符売り場がチョット判り難い場所にあったり、声を掛けても作業中だったらしく
中々係りが出て来なかった。暫くして人の良さそうな小父さんが出て来た。
おばさんパワー炸裂、5対1で値切りに成功1000円→700円になった。
洞窟入り口は離れた場所にあり、車で200メートル程走った。他には誰も
観光客はいなかった。階段を下りて行くと2匹のコオモリが舞って雰囲気がある。
小父さんは言っていた「玉泉洞より見事だよ!」嘘だろうと思っていたが、本当
かも知れない。規模・長さも大きいかも・・・一見の価値がある場所だ。
 時間も押し、17時を過ぎておりホテルへ向かった。  

     

 早朝の出発という事もあり疲労しているので、全日空ホテル至近の「ハレアカラ」
というレストランで夕食を取ったが、安くて味も良く大当たり、飲んで食べて
1人2900円のデイナーだった。
 皆が大浴場へ行っている間にPCを開き接続を試みたが繋がらない。係りを
呼び、観て貰ったが結局繋がらなかった。ホテルを決めた第一の理由は無線ランが
出来ると云う事だったが、これだけが残念だった。携帯電話を使って繋ぎ、掲示板に
報告を載せ、1日を終わった。


20日
 2日目は”西表島ツアー・由布島・仲間川・うみえーるコース”だった。
8時に迎えのバスに乗り石垣港へ向かった、バスは観光客で満員だった。ホテルも
そうだったが、客が入っていて活気があり、石垣港には観光バスが集まっていた。
バスの最後尾に乗ったので運転手の持つ旗を見失い、人垣の中で主催ツアー会社を
見つける為ロビーを右往左往した。
 高速船に初めて乗ったが、そのスピードの速さに舌を巻いた。時速80キロ以上は
出ているだろう、自船はわからぬが、対向する船を観ると、船の大きさと同等の白い泡を
山の様に吐き出し猛スピードで通り過ぎて行く。乗船時間は40分程だった。

        
   

 下船しバスで由布島に向かった。
昭和44年の台風により島は壊滅的なダメージを受けてしまい、ほとんどの島民は
亡くなったり、西表島などに移住してしまった。島の人々が消えていく中で西表正治
おじい夫婦は島に残り、再び島に人々が戻ってくることを信じて沢山の椰子や南国の
植物を植えたものだ。それが現在、西表の観光に無くてはならないものになっている。
 15号車・マイちゃんの引く牛車に10名は乗った。400メートルの浅い海を
マイちゃんはゆったりと歩く。いいなあ!大昔に乗った事がある我が家の牛車を
思い出した。後続の牛車から三味線の音と合いの手が聞こえた。乗車した運転手の
おじいは不調法な人だった。
 1時間程島内を観て回り、浜の乗車場所へ集合した。目の前に15番の牛舎が
やって来たがスルーしてくれ安堵した。同じおじいじゃ納得出来なかった。
「どうぞ!コチラへお乗り下さい。」声が掛かった。ユウサク君の牛車だ。ゆっくり
歩き始めると止まり、おじいは頭の上にある物入れから三味線を出した。待ってました!
これこれ、これでなけりゃ♪おじいは言った「2番まで唄い気に入るとユウサク君は
動き出します!」三味線を弾き安里ゆんた歌った。良い、実に良い!大好きだな♪
雰囲気は最高!チョットずれたが、ほんとに2番半辺りで動き出した。ユウサク君は
エンターテイメントしていた。岸手前100メートルの所で立ち止まった。おじい
「ユウサク君がリクエストだそうです!」一同大笑いで盛り上がった。同じ様に唄い
終わると、今度は、ほぼ倍のスピードで前を行く牛車をごぼう抜きして、皆大喜びした。
由布島・牛車・おじい、ありがとう!最高に楽しかった。 
 
    

 バスは食事処であるパイヌマナリゾートへ向かった。
原生林に囲まれた閑静な所で西表地方の、祭りご膳を頂いたが質素なものだった。
本土では食べられないパパイアの煮物が印象的だった。
 仲間川の船着場から船に乗り仲間川を遡上した。川岸の周囲には日本とは思えない
マングローブの林が8キロ以上続いてるのだそうだ。まだ行った事が無いが、テレビで
見たアマゾン川をクルーズしている様だった。フルーツバッドや冠ワシも出て来て
歓迎してくれた。川岸から30メートル程離れた場所にある樹齢400年と言われる
サキシマスオウの木を観たが、晩婚では無く・板根(バンコン)の根張りが見事で
あった。船は川を下り大原港へ着岸した。
 次は水中観察船「うみエ〜ル」へ乗り、西表の珊瑚礁を観た。双胴船で船体の間が
長方形の金魚鉢のエレベーターになっていて、それが海の中に沈む作りになっていた。
珊瑚礁のテーブルサンゴなど、海中の様子を船中から観たが、趣味の一つである
スキューバダイビングを1年以上やっていない私にとっては、見事な珊瑚達を見せられ
返って拷問に近いものであった。金魚鉢の中で見るより、海中へ入りたかった!

       
        

 この夜は繁華街へタクシーで繰り出し、石垣の街を散策した。夕飯を手書きで
メニューが書かれて沖縄民謡が外に流れる、そんな雰囲気に誘われるかの様に
居酒屋「てんさぐー」へ入った。刺身・いかすみの焼きソバ・イカ墨チャーハンが
美味しかった。飲んで・腹一杯食べて1人2000円だった。

      
         

 次に近くの島唄ライブハウス「安里屋」へ入店した。飲み放題1時間半・3000円
安里勇氏の唄を楽しんだ。三味線の音と、哀愁を帯びた氏の歌声は、沖縄地方の悲しい
歴史まで脳裏に浮かび上がらせてくれ、アップテンポで唄う曲との差が心を揺さぶり
泡盛も入り、高揚させてくれた。客も皆一緒に踊り出し石垣の夜を大いに楽しんだ。
 石垣島バンザ〜イ♪ 島を訪ねる方は是非、どうぞ!お薦めです。 

  

21日
  

 石垣島の日の出は7時0分、富士吉田は6時20分。2000キロ離れると
時間の感覚を迷わせてくれる。帰りの朝は綺麗に朝日が椰子の木の上に昇った。
10時半、ホテルの玄関で女性軍の見送りを受け空港へのバスに乗った。別れ離れも
慣れたのか、旅行に慣れたせいか、開き直ったのかは判らないが、各カミさんの顔には
不安な面持ちは無く、安心した。
 石垣島と沖縄間で、乗っているジェット機の影が下の雲に映り、その周囲を虹の
サークルが出来ているブロッケン現象を発見、慌てて写真を撮った。

       
  

 男性軍は羽田へ15時に到着し、遅い昼飯を食べながら女性軍の到着を待った。
その間を利用し、預けて置いた車をパーキングへ取りに行き、Pの係りに教わった
比較的車を止めやすい出発ロビーへ停車し皆を待った。
 30分程待った、17時20分。男性軍のお出迎えを受けた奥様方がニコニコと
笑みを浮かべながら?(車で待っていたので判らぬが・・・)皆が4番口へやって来た。
 
 皆との旅行は今回で2回目であったが、2泊同一行動するとベテラン夫婦が醸し出す
絶妙で、さり気無い愛情シーンを何度も見る事が出来た。朝食時、便秘の旦那を思い
ヨーグルトと牛乳をそっと差し出し、人差し指で出ているお腹をチョン!と突つき
「早く出なヨ!」と、一言。また、普段の生活では絶対にしないであろう亭主関白な
旦那が皆と一緒に並び、やっとこさ自分の食べる分をテーブルの前に並べ、それを見た
奥様が、皿を手に一回りしてバランスの良さそうな惣菜を取り、そっと旦那の前に
滑り込ませる様に差し出す。旦那は「ウサギじゃないからそんなに食えね〜!」などと
言いながらも満足した面持ちで食していた。
 帰り支度時、隣の部屋に行き、カミさんの手荷物を手にしてバックに詰め込み
自分のバックをパンパンに膨らませる旦那もいた。世話を焼やき、焼かれ、そこかしこに
ベテラン夫婦の見せる仕草が素敵で好感を持つ事が出来、旅を益々楽しくさせてくれた。
 子供達が年を重ねた時に、こんな感じにア・ウンの呼吸でお互いを思い、行動出来る
だろうか・・・自分中心で身勝手な子供らに・・・などと、想いを深くした。

 今回の旅行の一番のミスは、シッカリと送られて来たメールを確認しなかった事だが
フォームに5名迄しか数字が無く、2度に渡って手間を掛けなければ行けなかった事が
ミスを誘った。1回目に5名で○てんで最初に取れたエアーチケットが、同機2回目
男性軍の5名は満席で、女性軍だけという訳には行かないので、初回のをキャンセルした
積りだったが・・?また二回目の支払いをクレジットカードで決済しようとしたら入金
出来ず、信用金庫へ尋ねたら限度額オーバーとの事で、カミさんのカードで決済したり
残額が無いと決済出来なくては大変と、慌てて会社のお金をネットバンキングでカミさんの
口座へ入金したりのドタバタだった。
 旅行もドタバタで、皆さんに大変ご迷惑をお掛けしたが、無事帰って来れたので
お許し頂き、楽しかった石垣・西表島ツアーの思いでとしたい。
 皆さん、お疲れ様でした〜♪ 


オーナー Thursday, 6/29 21:56

 まちづくり先進地視察研修旅行 福島県・会津若松市 平成18年6月26・27日

 「プツ・プツ・プツ・プツ♪」月曜日の早朝、電話が鳴った。「寝ぼけまなこで、誰だ!こんなに早く・・・
電話掛けて来て・・・」 隣で寝ている家内に「良いよ出るな!・・・ブツブツ・スヤスヤ」電話が切れた。
また、電話が鳴った「プツ・プツ・プツ・プツ♪」 再度の電話にムッツリしながら「もし・もし!」
「おはようございます!遠山さんですか!桑原です」会議所の担当からの電話でした。「何どうした?」
旅ツ・旅行ですけど・・・」「エツ!明日じゃないの?」「今日26日ですけど・・・」眠い目を擦りながら
後ろの壁に掛けてあるホワイトボードを見ると26・27日に旅行と書いてあった。 勘違いである。
ボードの曜日の所に、日曜日は赤マジックで数字に丸く印を付けて置くのだが、その印が24日に
付けてあったので、旅行は火曜日と完全に思い込んでしまったのだ。まったくの勘違いであった(^^ゞ
「忘れてましたか?・・・どうします?」「ん〜ン!」そしたら桑原君が「河口湖I・Cから乗るんで
寄りますヨ!」その一言が無かったら旅行を断っていた所だった。 速攻で着替え、バックへ
必要な物?を詰め込み、玄関を開けた所へバスが止まりドアが開いた。「皆さん、おはよおう
ございます!ご迷惑をお掛け致しましたm(__)mすいません!」と言いながら、視線を避ける様に
空いている席に座った。 超ー!カッコ悪〜い出発だった! 
 
                行    程    表 

26日  バス・富士吉田 → 中央高速 → 首都高 → 東北自動車道 → 会津河東IC 

      → 会津・渋川問屋(研修・昼食)七日町通り見学 → 芦の牧温泉・大川荘(泊)

27日  ホテル → 桐屋夢見亭(蕎麦打ち見学) → 桐屋権現亭(研修・昼食) → 

      → 会津河東IC → 帰路 → 18:30着

     観光カリスマ渋川問屋 渋川恵男氏(しぶかわ ともお)


     観光カリスマ2桐屋権現亭 唐橋 宏氏(からはし ひろし)

                                     
    
    渋川問屋             店内看板              店内看板    

    


    


    

 大変忙しい中、時間を作って頂き渋川恵男(しぶかわ ともお)氏に、お話を頂いた。
帰郷した当時「よそもの3人組」と呼ばれ、煙たがられていた人達を中心に町の活性化を図り
まちなみ協議会を作り、地域における活動の普及に尽力されている。明治から昭和にかけて
海産物を扱う大店だった渋川問屋の代表で、塵ひとつない床は、黒光りする程磨き込まれており
2階は旅館になっていた。1階は料理屋でもあり、それぞれに趣のある部屋で食事を楽しむ事が
出来、「鰊の山椒漬」「棒たら煮」「こづゆ」などの会津郷土料理を提供し、お客様の舌を喜ばせて
くれる宿でもある。案内の方に聞いたら日曜日は200人近い方が食事にいらしたそうだ。

 まちづくりのカリスマに共通する所がある。淡々としたお話の中に、力強い説得力と培ってきた
自信があることだ。ひょっとすると毎日かもしれない?全国からお話を聞きにみえるお客様に対して
力まず驕ること無く飄々と話してくれる、ほんとうにありがたい事だ。
 お話の後、会議所の方の案内で七日町通りを散策したが、郷土料理にしても、まち並みにしても
我が富士吉田市と比べてみると歴史の重みの違いを感じてしまう。

    

    

    


    


    


               
  


  芦ノ牧温泉・大川荘




    
           桐屋夢見亭

    


  桐屋権現亭


 翌日は蕎麦でまちおこしを提唱している唐橋宏氏を訪ねた。
凄い人に出会った。蕎麦道へ入って35年、とってもパワフルで行動的な人だ。頂いた経歴を
見て驚いた、日本だけではなくネパール・タイ・オーストラリア・イタリアまで蕎麦の種を蒔き
ネットワークを持つ方だった。
 お話の中で印象に残ったのは、土地の食べ物を如何に生かし、地味豊かな食べ物にするか。
行政の垣根を如何に越え連帯するか。住民意識がスズメの学校では無く(竹やぶのスズメは
目的意識も無くあっちこっちを向いている事)メダカの学校(上流に向かって一緒に泳ぐ事)が肝心。
 今の富士吉田市に置き換えてみると胸が痛くなる。
取り合えずは、自分ちに、いらっしゃるお客様を大切にし、基礎を築き、余力が出来たら社会に
還元するとしたい。 




オーナー Friday, 6/9 21:17

     北海道ゴルフ旅行 平成18年6月2・3・4日

 地区に住み、毎月積み立てをしている竹馬の友10名で北海道ゴルフ旅行へ行って来た。
このメンバーで飛行機に乗るのは5年振りだろうか、そう云えば前回も北海道だった。
「おどろきの北海道ゴルフ」2泊3日、2日プレーしてホテル朝食付きで40800円。
考えられない料金だった。但し、キャデイーフィー・カート代は別料金であったが
破格の料金には間違いが無く、凄いの一語に尽きる。空港ゴルフ場への送迎・キャデーバックの
運送代も含まれており、夕方チャイムが鳴り玄関にキャデーバックが届いた。プレー終了後
回収に来ていた運送会社の係りに聞いたら「2日で届けますよ!」と言っていたが、本当だった。
 文字通り、まさに”おどろきの北海道ゴルフだ!”。
 

                行    程    表 

2日  車・富士吉田 → 羽田空港 → ANA → 千歳空港 → 送迎バス 

    シャトレーゼカントリー倶楽部札幌 → フェニシアンプラザホテル

3日  観光バス・ホテル → 積丹半島 → 昼食・みさき → 小樽・鰊御殿青山邸 → ホテル

4日  送迎バス → ユニ東部ゴルフクラブ → バス → 千歳空港 → 羽田空港 → 富士吉田


 =2日=

 まだ明けやらぬ午前3時30分、10人乗りパインツリー号は富士吉田を後にした。
高速は空いており、1時間半で羽田に到着した。予約しておいたパーキングに車を止め
送迎のバスに乗った。ジェット機の尾翼が見える、飛行機に乗ったのは2年前、お久し振りで
空港が近づくだけで胸が高鳴った。
                                     
    
  シャトレーゼC・C        空港で買った三色丼         ススキノ        

 11時からのプレースタートと聞き、空港で3色弁当を買った。スルー(昼食時間無し)で回るので
腹ごしらえしておかないといけないのだ。ウニ・イクラ・カニの入った弁当を暖かい日差しの中で
コースを見下ろしながら食べた。青空食堂は旨〜い♪ 44・42で周り、ネットで91、前半優勝した。
因みに仲間内のハンデはー5なのだ。
 夕食は徒歩でススキノへ出た、ネオンが眩しかった。ロビンソン前の2F古艪帆来と云う店に入ったが
10名が問題なく入る事が出来て、料理も美味く値段もお安いので、お薦めの良い店だ。

 =3日=

 オプションバスツアーで積丹岬へ行って来た。
小樽は前回訪ねたのでパスし、普通のツアーでは中々訪ねる事が出来ない神威・積丹岬を
中心に回り、帰りに鰊御殿青山邸を訪問するコースだ。


  余市宇宙記念館  

 小樽の隣に余市市があり、宇宙記念館があった。何で余市で宇宙なの?と思ったら
宇宙飛行士毛利さんが同市出身と云う関係で作ったものだそうな・・・。
ビールをシコタマ飲んで勢いの付いたシッコは、引力に逆らう事無く放物線を描き
迷宮の彼方へ吸い込まれて行った。おじさん達は宇宙のお勉強をするのでは無く、ただ
トイレ休憩をしただけであった。

  
     積丹岬・島武意海岸

 神威岬の断崖から見下ろした海の色や、遊歩道脇に群生する笹藪の中から聞こえて来る
ウグイスの鳴き声が、周囲の景色と澄み渡る透明な空気感と相まって印象的でした。

      
  神威岬入り口           女人禁制門             神威岬          

      
                   エゾカンゾウ   
  
  小樽 貴賓館・鰊御殿青山邸
  
   鰊御殿青山邸             鬼 瓦 

小樽市郊外にある鰊御殿青山邸は骨董品がお好きな方は絶対にお薦めポイントだ。
お宝鑑定団を呼んで1つ1つに値段を付けていったら・・・などと、下世話な事を
考えざるを得ない程一品揃いだった。

    
    庭 園              軒先を飾る鬼瓦    

      
  大通り公園テレビ塔          時計台            旧道庁舎    


    
    北海道大学            路面電車           ジンギスカン  

 5時前と云う事もあり、夕食前のひと時が自由行動になった。
ホテルで自転車を借り仲間と離れ時計台・大通公園・札幌テレビ塔・道庁旧本庁舎・北海道大学などを
観て来た。3条・4条・5条〜と信号の表示と地図を照らし合せ、久し振りにチャリを飛ばしたが
夕方の冷たい風が火照った体をクールダウンさせてくれ気持ち良かった。
 待ち合わせの7時ジャスト、ホテルへ滑り込んだ。
その日の夕食はジンギスカンに決まっていた。ホテルの近くに地元の皆が薦める”だるま”を訪ねたが
暖簾の横に6人程並んでおり、店の中にはカウンターを囲んで15名程が食事をしていた。10名の
我々が入る余地はなかった。諦めて近くの店を覗くと10名が座れるスペースがあり、その店に入った。
店が満席になり、ラム肉の焼ける煙で奥が見え難くなった。そう・そう、焼肉はこの感じでなくっちゃ!
着ている服に煙がしみ込み、店を出てから信号で立ち止まるとプーンと香りが立ち上って来るようでないと
焼肉では無いのだ、無煙ロースターなんて・・・無縁だ。
 食後、近くのクラブで1時間ほど飲んで自由行動となった。パチンコ組、ホテル組、XXX組それぞれが
ススキノの夜を楽しんだ。

 =4日=

 午前10時迎えのバスに乗り、ユニ東部ゴルフクラブへ向かった。
快晴♪ 内地には無い広々としたレイアウトのコースだった。風・光・水の3コースあり
漢字で書かれた案内が面白かった。45・37で周り後半も優勝、総合優勝の栄誉を得た。
 クラブハウス玄関脇のキャデーバック引渡し所で、土産収納用にカバンのスペースを空けるべく
バッグから汚れた衣服、靴などをキャデーバックに詰め込み、ビニールカバーを掛けて係りに渡した。
午後7時空港に到着、目に浮かぶ孫の笑顔を見たいが為、まず一番厳選し土産を選んだ。
 8時35分、千歳空港を発ち、何事も無く12時30分には富士吉田へ無事帰還した。 

 ついつい個人事業者として考えてしまうのだが、利益を何処で?などと考えさせられる
まさに”おどろきの北海道ゴルフ”で、癖になりそうな予感のする2泊3日の旅行であった。 
    

オーナー Friday, 4/28 21:50

     先の大戦を訪ねる旅 平成18年4月17・18・19日

yamato.jpg  映画”男たちの大和”を2月17日に観た。子供の頃
 暇があれば絵に書き、プラモデルを作っていたのが
 0戦と大和だった。そんな思い入れがあり上映中に
 必ず観たいと思っていた。
  映画は尾道市の日立造船ドッグに原寸大の大和を
 再現したものを使って撮ったもので本物の迫力が
 画面から感じられた。丁度、毎年出掛ける仲間の
 旅行があったので、その旨を説明し皆での訪問を
 提案すると、気持ち良く受け入れてもらえた。

   男たちの大和
   尾道・大和ロケセット
   大和ミュージアム

 日程は4月17日から2泊3日で決まり、行程は任された。
インターネットを駆使してネット旅行の開始だ。新幹線の切符は会計係りが
買った。以外の検索は慣れてる所でクリクリッと全て楽しませて頂いた。
メインの”大和ミュージアム””大和セット”は、休みがあるので、行程と宿との
兼合いが中々難しかった。

              行    程   表 

17日  車 → 新富士駅(こだま) → 名古屋(のぞみ) → 福山駅(こだま)
                                      ↓
      しまなみ海道 ← 大和セット ← レンタカー ← 新尾道駅    
        ↓
     大三島・大山祇神社 → 宿・鞆の浦 鴎風亭  


18日  宿 → 尾道散策 → 食事処”青柳” → 尾道I・C → 甘日市IC 
                                            ↓
     宿・岩国国際観光H ← 錦帯橋 ← 岩国IC ← 大野I・C ←厳島神社 


19日  宿 → 岩国I・C → 広島・沼田出入口 → 原爆ドーム・資料館 → 宇品I・C
                                                 ↓
      江田島・旧海軍兵学校 ← フェリー ← 大和ミュージアム  ← 呉I・C  
       ↓ 
      フェリー → 呉I・C → 宇品I・C → 広島駅(のぞみ)→ 名古屋(こだま)
                                             ↓
                                 富士吉田 ← 新富士駅  


 時速300キロ、新幹線”のぞみ”のスピードは速かった。雪を被った富士山が
良く見えていたので、撮影しようと窓際でカメラを構えてはみたが、その速さに
付いて行けず、富士は山の陰に隠れてしまいシャッターチャンスを逃してしまった。
”のぞみ”と”こだま”を乗り継ぎ、4時間程で新尾道駅に着いた。
    
    
    新幹線”のぞみ”   尾道ラーメン”東珍康(トンチンカン)”        

    

 予約しておいたレンタカーに乗り換え”大和オープンセット”へ向かう前に、名物
尾道ラーメンを食した。”東珍康”と云う店だ。スープにコクが有り、皆美味しいと
言って食べた。カウンターの上に載っていた珍しいミノの天婦羅を食べる事が
出来ず残念であった。
 橋を渡り向島に入ると所々に設置してある”大和セット”の立て看板が
見えて来ただけで胸が高鳴った。日立造船の駐車場に車を止め構内循環バスに
乗った。1つの棟に体育館が10棟も入るだろうか巨大なガランドウのドッグ施設の
間をバスは走った。バスから降りると目の前に”大和”はいた。船首に付いた菊の
紋章が地味な船体に映えて綺麗だ。係りに勧められるまま、その前で記念写真を
撮ったが背中が落ち着かない。はやる気持ちを落ち着かせチケットを貰い、甲板へ
あがった。広〜い!巨大な甲板だ。巨大な砲。艦橋は無いが1/1スケール。
大和の巨大さは十二分に伝わって来た。60年前に、この世界一の船を日本が
創ったのか!凄い事だ。砲座を大和をさすって歩いた。

    
                                     因島大橋

 ”大和セット”を後に、四国・今治市へと続く”しまなみ海道”を大三島へ向かった。
大三島には大山祇神社があり、この神社は全国に散らばる大山祇神社の総本社で
日本総鎮守の名を称されている。地区にあり世話役をさせて頂いた「松尾神社」も
また「北口本宮冨士浅間神社」も、祭神の一人は大山祇命だった。また、この神社の
宝物殿には全国の甲冑の8割とも云える収蔵品があり、観る事が出来るのをネットで
知り訪ねる事にしたのだが、来て良かった。何と!源平の戦い以前800年以上まで
タイムスリップ出来た。頼朝が義経が奉納した鎧が目前に有ったのだ、よく占領軍に
取られず残ったもんだ。

    
     大山祇神社        

    
                     鞆の浦港           対潮楼  

 午後5時、尾道から沼隈半島を半周し鞆の浦へ着いた。
カーナビに従い一方通行の表示だけ気を付けて街路を走るが、とにかく狭い。レンタカーが
いつも乗りなれている愛車のアルファードと一緒だから良かったが、T字路を曲がる時に
1〜2回切り返しをしないと周りきれない狭さだった。ホテルへ入るにはまだ早いので
駐車場に車を止めて、町内を散策した。良く保存された古い街並みが並び、今にでも
脇差をさした浪人が出てきそうな雰囲気を醸し出す街だった。後になって知ったのだが
幕末・明治・大正時代の建物が残る街として知られているのだそうだ。

    
     沼隈半島マップ     瀬戸内に昇る朝日   千光寺山ロープウエー            

 朝6時起床、霞の掛かる瀬戸海を1枚撮った。
交通ラッシュの様子が分らないので充分ゆとりを持たせ、8時にホテルを後にした。
ネットで調べていた時、尾道市にシルバーガイド制度があり、観光案内を依頼しておいたのだ。
待ち合わせを9時、市役所駐車場入り口でしていたが、15分前に到着した。早く着いたので
センターへ電話を入れると既に待っているとの事、見回すと女性が・・・。根拠無く
男だとばかり思っていたらガイドさんは女性で住田さんと云った。

    
   中央・大和セット      文学のこみち       千光寺・奇岩      

 3時間でお願いしたら”文学のこみちコース”の、ご案内になった。
千光寺山ロープウエーで頂上まで上がり、見所を観ながら下ってくるコースだった。
展望台からの風景は正面に向島を配し、島々が点在し尾道が自然の要害になっていたのが判った。
繁栄した街で、豪商の中には自前の寺まで持つ商人もいたそうだし、この小さな街に80軒?寺?を
越える寺があった事を聞いただけで、この街の繁栄の凄さが解った。”文学のこみちコース”の
途中には巨岩あり、寺あり、尾道有縁の文人の句や小説の一部が刻まれた岩が点在し、旅人の足を
止めさせる。ガイドの「一句詠んでみたら如何でしょうか?」の提案で捻ってみた。

 ”尾道の 千光寺山 上り来て 英霊想う 遅咲き桜” と、詠んだら、ガイドと仲間に拍手を頂いた(^^ゞ

 退職された方が行うガイド制度は興味深い試みだった。当地には富士山麓の自然を案内するエコツアー
ガイドがあるが、広範囲に渡る山麓を効率良く楽しんで頂く為にガイドを車に乗せ、各観光ポイントでは
説明を行える観光ガイドがいたら面白いかも・・・などと考えてしまった。  
 
    
     三重塔         文学記念室        志賀直哉旧居前にて     

    
   天寧寺・五百羅漢       映画資料館       食事処”青柳”         

 天寧寺の五百羅漢は素晴らしかった。その昔、仏師を常駐させ造らしたそうだが、作風・仏様の着物の
着色・面立ちが違っており、凄いの一語だった。ガイドさんに襖の奥にある直原玉青画伯の絵を見せて
貰ったが、遠い異国のニューギニアで戦死した戦士の遺骨と、残骸となった戦車が描かれていたが
明るいはずのヤシの木、砂浜が暗いタッチで書かれ、無くなった方の沢山の遺骨ではなく、たった1人と
錆びた戦車が戦争の情けなさを語っていた。

    
  名物・オコゼのから揚げ    宮島行き船乗り場      海に立つ大鳥居    

 昼は尾道の名物で?・・と云う訳で、ガイドさんと別れ、紹介された食事処”青柳”で昼食を取った。
オコゼが有名だそうで、から揚げが入ったコースを食べたが、ン〜ンツ!コンなものかなって感じで
特段に美味しいって云うものではなかった。
 午後1時、尾道ICから高速へ乗り甘日市IC経由、宮島へ向かった。

    
     厳島神社          錦帯橋        橋の木組み    
      
 波止場の近くに車を止め船で厳島神社へ向かったが、乗船場所にある大型土産店のあちこちに
デコレーションしてある”もみじ饅頭”の文字を見て広島入りを実感した。昔TVで流行した
漫才ブームで広島出身・島田洋七と岡山出身・島田洋八の漫才師コンビ(B&B)の掛け合いの中で
洋七がギャグとした”もみじ饅頭”= 広島 の図式が脳裏にこびりついていたのだった。故にTVの
影響ってやつは恐ろしいものだ。
 船着場から神社までは徒歩で10分程歩いた、午前中、千光寺山をかなり歩いたので皆
バテバテであった。海に立つ大鳥居、潮が満ちると海に浮かぶ大伽藍、栄耀栄華を誇った
平清盛。当時小船で大鳥居をくぐり、初めて参拝した武士達は、伽藍を目にしてさぞかし
度肝を抜かれただろうと簡単に想像出来た。 
              
    
     鯛ソーメン        押し寿司        原爆ドーム  

 宮島を後に、5時には宿泊地”岩国国際観光ホテル”へ到着した。
チェックインするにはまだ早いので、ホテルの駐車へ車を止め、近くにある錦帯橋を観に出掛けた。
綺麗なアーチ型の橋だ。下から観たら、その木組が複雑で建築技術のレベルの高さが観て取れた。
近くの出店から「おにーさん♪」の声が・・おじさんは「おにーさん」の掛け声に弱いのだ。
「御終いだから串物50%割引にするよ!」「イカ焼き頂戴!」ついでにビールも・・・・。
運転手に徹していたので昼も飲めなかった。ビールが喉にしみた「うめーツ♪」小腹の減った胃袋に
一気にイカが飛び込んだ。ベンチに座り、手に残った割り箸を腕を伸ばして金帯橋にかざし
木組と重ね合わせ、橋を肴にビールを飲んだ。旨かった〜♪

 旅行に出掛ける時は、いつもPCを持ち歩く、そして時間が空いたら写真を添付してUPするのが
旅のスタイルになっているが、今回は特別に嬉しい出来事があった。
 岩国に泊まっている時に、8月にパインツリーへ泊まりたいとおっしゃる岩国に住まわれる
下記(HP掲示板から)あきさんとおっしゃる方から掲示板へ書き込みがあったのだ。


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あき Tuesday, 2006/4/18 23:57:52  ( pl321.nas922.yamaguchi.nttpc.ne.jp )

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初めまして。8月の宿泊予約をしたくて訪れました。
やっぱりたくさんの人が狙っているのかぁ〜・・・5/1はスゴイことになりそうだぞ・・・と、今から緊張しております。
パインツリーさんも御覚悟を・・・!(笑)
そして訪れた掲示板。
オーナーさん、現在私が住んでいる街、岩国にいらっしゃるんですね!と驚き、書き込みしてしまいました。
岩国・・・観ていただいた通り、何もないような街ですが(笑)・・・私は錦帯橋、岩国が大好きです!来ていただいて光栄です!
(ちょっと前だと桜があって、もっときれいだったのに・・・雨で散ってたでしょ。いいところみせれなくて残念です。)
私たちも8月にそちらに行きたいと思っています!
その際にはよろしくお願い致します。

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オーナー Wednesday, 2006/4/19 06:49:07 http://kashibesso.com/  ( n00098.gmms11.imtp.yoyogi.mopera.ne.jp )

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あきさん、おはようございます!
 書き込みありがとうございます。

>・・・パインツリーさんも御覚悟を・・・!(笑)

 了解致しました。

>岩国・・・観ていただいた通り、何もないような街ですが(笑)・・・

 イイエ!静かないい街ですね。橋も城も、古人の築いてくれた歴史を感じさせてくれる
 街です。この街のどこかに、あきさんが・・・まだ夢の中でしょうか?
  後1時間で発ちますが、書き込みを頂き、掲示板のお陰で何か新鮮で不思議な
 感覚を頂きました。岩国、想い出に残ると思います。

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 こんなやり取りをさせて頂きました。凄いですよねインターネット♪ 
だからPCを家に置いてく訳にはいかないのです。

    
     平和記念資料館                  呉・大和ミュージアム 

 午前8時ホテルを出発し広島へ向かった。高速道路を使ったので1時間も掛からず
広島へ入った。道路が広く近代的な街並みが印象的だ。平和公園の近くへ車を止めた。
サンモールの近くの橋を渡ると右てに、周辺の建物とは異様な原爆ドームが見えた。
良く整備された公園を歩き平和記念資料館を見学した。1発の原爆で20万人を超える
死傷者、想像を絶するものだ。世界中に広がる原爆保有国のミサイルが発射される事など
無い事を願いたいものだ。

    

 ”お好み村”へ寄って広島名物”お好み焼き”を食べたかったが、昼食には時間が
早かったので呉に向かった。呉に近づき、高速道路を下って行くと入江に建造中の
大型タンカーが見えた。道路の処所に”大和ミュージアム”の看板があった。
まだ新しい建物だった、玄関に置かれた戦艦”陸奥”の40センチ砲1門が巨大だった。
体育館の様な建物の中に1/10スケールの大和は鎮座していたが、なにせ1/1本物サイズに
触れてしまった後では、その感動は消えていた。保存状態が良く、整備すれば空を飛びそうな
O戦も展示されていた。周囲を周りながら角度を変えて眺める事が出来る展示方法が新鮮だった。

    
                  0戦           江田島行きフェリー
 
    
 旧海軍兵学校 現在、海上自衛隊第一術科・幹部候補生学校   

 呉から南下し、早瀬瀬戸を渡り北上し、旧海軍士官学校(海上自衛隊第一術科学校・
幹部候補生学校)へ行く見学予定を組んだが、案内係りに聞いたら江田島・小用行き
フェリーがある事を知った。海無し県に住んでいるのでフェリーと云う発想が無かったし
調べた範囲には客船は有ったがフェリーは無かった。バス・タクシーに気を使わなくて良いので
有り難く、また、その間20分程だが運転せずに済むのが一番だった。

 午後1時の見学コースに間に合った。レクチャーを受け見学したが、その規模と施設の広大さに
驚かされ、1時間30分の時間では良く見切れない内容と貴重な品々があった。中でも、幹部
候補生学校の光沢のある茶色のレンガと白色石のコントラストが見事で、とても綺麗、100年以上
経った建物には見えなかった。教育参考館は重厚な石造りで、幕末から第二次世界大戦までの海軍
関係者の書・絵画・遺品が沢山展示してあり、特に自らを犠牲にして国の為に散っていった若き
特攻隊員の遺書が涙を誘った。兵学校校長松下元少将考案の「 五省 」は、現在の海上自衛隊に
おいても、日々の行動を自省する標語として用いられているそうだ。

 一、至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか   (真心に反することはなかったか)

 一、言行に恥ずるなかりしか    (言葉と行ないに恥ずかしいところはなかったか)

 一、気力に欠くるなかりしか            (気力に欠いてはいなかったか)

 一、努力に憾(うら)みなかりしか           (努力不足ではなかったか)

 一、不精に亘(わた)るなかりしか         (不精になってはいなかったか)


    
    教育参考館           特殊潜航艇        広島駅     

 
今回の旅行は大和から始まり大山祇神社・宮島・原爆ドーム・旧海軍兵学校と観て回ったが
人間と戦は離す事の出来ない悲しい性(さが)で、戦いの無い今はたまたま端境期に過ぎないと
思ってしまう。出来ればこの平和が恒久的に続ければ・・と願ってやまない。
 この大和の国はいったい何処へ向かおうとしているのだろうか・・・。

 

オーナー Friday, 6/17 10:19

     草津温泉視察旅行 平成17年6月13・14日
 
 6月13・14日(月・火)富士吉田市商工会議所観光サービス部会の研修旅行で
草津温泉に行って来た。 1週間前の天気予報は雨であったが、運が良くハズレ、傘の
心配をする事の無い旅行であった。

 午前7時、雲間から顔を覗かせる富士山に見送られ会議所前を出発した。行程は

 ー往路ー
富士吉田市 → 御坂IC・中央道・長坂IC → 佐久市 → 鬼押し出しハイウエー →
草津町役場(研修13時〜15時45分) → 宿・ホテル桜井15時着

 ー帰路ー
宿(9時出発) → 浅間酒造観光センター → 水澤寺(五徳山 第16番) → 万葉亭
(水沢うどん) → ハルナグラス → 前橋IC・関越道・鶴ヶ島IC → サイボクハム →
圏央道 → 日の出IC → 八王子IC・中央道・河口湖IC → 会議所到着18時

 中央道双葉サービスエリアでトイレ休憩の為バスは駐車した。トイレを済ませ、出店をひやかしながら
バスに向かうと知った顔がニコニコしながらやって来た。友達の鮨処”いとよし”の常連k社長であった。
「何処行くんですか?」「草津です(*^_^*)」「あっそう!一緒ですね!奇遇だね!」「草津の何処へ
泊まるの?」「ホテル桜井です(*^_^*)」「えっ!一緒じゃん・・・♪」偶然ってあるもんですね〜!
K社長も身内15名で慰労のバス旅行中であったのだ。

  
 峠の釜めし 佐久乃おぎのや   車内から見た浅間山・鬼押し出し    

 途中、峠の釜めしで有名な「佐久乃おぎのや」に寄り、浅間山・鬼押し出しを車内から見学し、緑に
萌える樹木のトンネルを走り、12時には草津町役場に着いた。1時間のフリー昼食時間が与えられ
それぞれが好みのレストラン、食堂へ向かい、私は会議所職員の桑原君と鄙びた食堂へ入った。
観光客らしきおばちゃん3名の先客がいたが、厨房には割烹着を着たおばちゃんの他に人影は見えない
食事処の失敗の不安が過ぎった。感は当たっていた、2人共900円のカツ丼を注文したが、その豚肉の
薄い事、濡れ煎餅の如しで、甘〜い味付けで味悪く、何年振りだろうこんなカツ丼を食べたのは・・・参った。
 町長に会うので事前調査にでもなればと思い「おばちゃん、どう景気は?」「暇だね〜!」「町長さんは
どんな人?」「理論家だね〜!」「あ、そう・・・理論家なんだ・・・?」おばちゃんの発した似合わない
理論家と云うフレーズと、嫌な甘さが口に残り、気が付かず前を通り過ぎたバスターミナル1階には、何と
レストランが2店舗あり、ショーウインドに並べられたデイスプレーの厚いカツ丼がメッチャ美味そうで
ガッカリの2重唱であった。   

    
    草津町庁舎       感動もの”玄関に飾られた歓迎の文字”   講演する中澤町長    

    中澤 敬町長   日本観光カリスマ100選に選ばれた方です。 
                観光カリスマ 中澤氏
 
 午後1時、庁舎の玄関に集まった。玄関には商工会議所歓迎の文字が・・・これを見ただけで町の、そして
町長の気迫、姿勢が伝わって来た。4階の会議室に通され会議室の演台にコの字に座ると暫くして中澤町長が
現われ、部会長から順に名刺を交換して回った。突然の事で慌てて胸ポケットから名刺を出し交換したが
その気さくな所に好感を持てたし、またまた驚いてしまった。

 スラットして、久米宏似の中澤町長の講演は”Brand & Brand Extension' と云う内容で始まった。
要は草津の名前を知って貰い、遊びに来て貰うためには何をすべきなのか。また、草津が豊かに
なるにはどうすればいいのかを分かりやすく話してくれ、話題の中へ時折富士吉田市の名前を
入れて下さるので、嫌が上にも比べざるをえなかった。淀みなく、咬む事無いしゃべりで、1時間がアッ!
という間に過ぎた。淡々と話される言葉の中には並々ならぬ使命感や情熱を感じ、さすがは
カリスマ100選と納得してしまった。約40分の質疑応答を終え町長は去っていった。

 草津町の様に、我が富士吉田市市民に意識改革は出来るであろうか?当たり前の事を当たり前に
出来ない行政。義務を忘れ、権利と派閥の価値観だけしか主張しないアッチ派・コッチ派。市民が同じ
方向を向き、同じ物質的精神的価値観を持ち、共生出来る日が来るだろうか? カリスマ町長が舵を取る
草津丸が羨ましく思った。流れる時代を読み、行くべき方向を指し示し、市民皆で船を漕ぐ、そんな
富士吉田丸になりたいものだ。

    
 ホテル桜井・ホテル内の”湯畑”のレプリカ 




湯畑の一角、光泉寺の階段下で
源頼朝が発見したといわれる

 「 白 旗 湯 」 






  これが有名な「 湯 畑 」毎分4000ℓの湯が湧出



    
  「 熱 の 湯 」  熱い湯を木の板でかき混ぜ、湯音を下げる入浴方法”時間湯”の前に行う作業で
             湯もみショーとして体験&実演出来、その際、草津節が歌われている。    

     
  
   西の河原公園         町営西の河原大露天風呂       

 15時にホテルに到着した。宴会まで3時間の自由時間だ、早速荷物を部屋に置き、折角来た草津温泉を
目一杯楽しむべくカメラを持ってホテルを飛び出した。湯畑までホテルの無料送迎バスで送ってもらい
あちこち目ぼしい所を探索をした。湯畑では硫黄の匂いが鼻を突いた、結構来る匂いに具合の悪くなる人が
いないか心配になった。飛び込んだ湯もみショーは、見事に昔おねーさんだった人ばっかりでガッカリし
滞在時間2分、写真だけ撮って飛び出した。
 西の河原公園、町営西の河原大露天風呂へ行き、鶴太郎記念館へ入館した。鶴ちゃんは「俺たちヒョウ
キン族」の頃から好きで、俳優としてもブルーリボン賞も獲得してるし、プロライセンスを持ったボクサーだし
その才能の多才さに神様の不公平さを感じてしまう。館内で観た「涅槃」の黒いトーンの絵が印象的だった。

    
    湯の湖(品木ダム)       片岡鶴太郎記念館             浅間酒造 

 タクシーを拾い町内を運転手さんに周ってってもらった。気温が22℃位なのに川という川から湯気が上っている。
富士吉田では水を灯油を燃やして沸かし、お湯にしていると云うのに・・・もったいない!・・と貧乏根性と
僻み根性が出た。でも、お湯が出るのはヤッパリ羨ましいナ! 草津の湯は酸性が強いので、そのまま川に
流す訳に行かず、町の下方に工場があり、そこで石灰を投入し中和させ、再び川に流すのだと運ちゃんが教えて
くれた。運ちゃんにどこかイイトコ無い?小指を立てるのでは無く、写真撮影する場所を尋ねると、ジャ!案内
しましょうと「湯の湖」へ連れて行ってくれた。行った事は無いが写真で見た「中国の桂林」に似ていた。
ブルーの水を貯え、山は落葉樹で覆われ、秋に来たら錦の紅葉が見事だろうと予測出来た。こんな場所を発見
出来るのも地元の人と触れ合い会話すればこそで、すごく得した気分、旅の醍醐味だ。


     水澤寺

  
     万葉亭             水澤御膳

 吉田のうどんのHPを持ち、多少こだわりのある自分としては水沢の地に立ち、うどん屋の4〜5軒も梯子して
胃袋が満タンになるまで食らうぞ!などと勇んでいたが、所詮団体ツアーの悲しさ、地元の方は殆ど食べない
であろう大型ドライブイン風の店メニューで、食べてまたガッカリの水沢うどん初体験であった。因みに食べた
うどんは手打ちでは無く製麺機で作ったうどんでツルツルタイプ、塩が効き過ぎ、血圧には悪いうどんであった。

  
     ハルナグラス          体験・吹きガラス 

  
     サイボクミート  

 関越自動車道、鶴ヶ島IC近くのサイボクミートは近くだったらチョコチョコと遊びに行きたい場所だった。
試食し買った温泉ウインナーは初めての食感、皮無し?で肉の旨味があり味が良かったのでお奨めである。 

談合坂S・A 花壇に咲いていた花

 圏央道を日の出ICまで走り、八王子ICから中央道で帰ったが、繋がると便利になる。
朝、ホテルの露天風呂に入りシャワーで軽く体を流して出たが、バスの中で疲れて体の
体勢を入れ替えると、微かに硫黄の匂いがした。 さすが全国温泉ランキンクNo1 
豊富な湯量と泉質、鼻をくすぐる硫黄の香り、また行きたくなった。 

  「歩みいる人に安らぎを 去り行く人に幸せを」良いね!泉質主義 草津温泉
                          
                         お世話になった草津町の皆さんに感謝して

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