パインツリー・オーナーの旅行記

この掲示板に、
オーナーの旅行記・・・旅行に出かけたつれづれを書いてみました。
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オーナー Friday, 12/9 12:06

  木の花会・東北祈り旅
        平成23年11月20・21・22日  2泊3日 

 3月11日、あの震災があった。自分の目で現場を見たいと思い、皆に東北行きを
提案したところ賛成して貰い、東北へ行く事となった。テレビや写真で見てはいるが
現場に立ち、潮風の匂いをかぎながら、戦後生まれの自分らが遭遇した最大の災難を
どう考え、どのように行動に移して行くかを考える旅でもあった。 

 ------ 20日 ------

 5時30分、5組の夫婦を乗せたハイエース・パインツリー号は一路東京駅を目指した。
初めての東京駅、日本ビルの駐車場、車にナビの付けていない事を後悔しつつ、数日前から
グーグルアースを使いシュミレーションをしてルートの勉強をした。
 ネットはありがたい。駐車場の検索をしていたら、こちらのPが見つかり、新幹線を
使えば1日2000円で車を置けた。

 問題無く東京駅近くのPに到着し、一行はゾロゾロと駅に向かった。
7時前で構内のショップも所々しか空いていない。新幹線の切符売り場を探し、開いて
いる売り場の前でハタ!と気が付いた。ETCカードを車に付けたままだ。時間は
まだ15分前、充分間に合うと思い、皆に訳を話しPに向かって走った。

 片道3車線の横断歩道の信号待ちを足踏みをしながら待つ、地下Pへの階段を2階分
下り、車の所までP内を走り、カードを抜き取り戻る。フットワークは軽い積りだが
体重90キロが災いし、階段を昇り切る頃にはフクラハギに乳酸が溜まり、歩みが
極端に遅くなり、一気に溜まっていた汗が噴出す。周囲の人々はコートを着てマフラー
をしている中、ジャケットを左手に右手はハンカチを持ち、額の汗を拭き拭きYシャツ
姿で駆ける(積り)。

 22番線下で家内と鶴田さんが待っている「こっちこっち!」エスカレーターに
飛び乗った。すると”ツルルルルル〜♪”音は昇りきる手前5メートルの所で止まり
係りの列車のドアを閉める笛の音がプラットホームに消えた。7時16分「ファオ〜ン♪」
残された4人は唖然として、仲間6人乗せた新幹線の後姿を見送るだけだった。

 落ち着いた所で、乗り遅れた旨を電話連絡した。
前回の木ノ花会の旅行は、平成19年2月 西表島だったが、その時は予約の手違いから
男女別れて違う飛行機に乗り、1時間遅れで西表島に到着した過去を持っている、どうやら
別れ別れで旅をスタートするのが慣例となりそうで、3回目が怖い。

 固定観念に固まり、列車に乗る機会の無い田舎者は困る。そのまま、次の列車も同じ
プラットホームに入ってくるものと思い込み、ボー!っと、22番線で待っていた。
 列車の入って来る10分前になり、ハタツ!と、思い出した。予定を作る際、机上で
パート2の候補に上がっていたのは確か21番線・7時56発だ。ここは22番線!
隣のホームの時刻表を見ると「7時56分発 はやて」があるではないか・・・。慌てて
皆で隣のホームに移動し、事無きを得た、やれやれである。


  一関

 40分後、一関駅にてチョットだけ感動の、笑顔の再会を果たした。
二階のプラットホームから下のホームを見ると蒸気機関車が止まっている。どうやら
イベント列車で特別に設えたものらしいが、やはり生で見ると迫力がある、得した
気分で旅のスタート、怪我の功名だ。40分遅れたからC61に会えたのだ。
 駅前で予約して置いたレンタカーに乗り込み、東北の道を走りだした。


 気 仙 沼        陸 前 高 田

 国道284号線を気仙沼へ向かって走る。
一関から気仙沼迄は山間を走るのでアップダウンが予想されたが、意外と平坦な
道路で整備されており走り易かった。気仙沼バイパスを越えて市内に入るが周囲に
変化は見られない。3月11日、富士山麓でも結構揺れたが、道路沿いにある年季の
入った建物も立っており、地震で潰れた形跡は見えなかった。気仙沼街道を走り
市内の信号で止まると警察官が誘導していた。その先からである、一階部分の壁に
生々しく水の来た跡を残し、中は空っぽだ。右手に海が見える、以前は建物が影に
なり、震災前には、まず見えるはずのない景色に言葉を失う。コンクリート製の
建物以外は基礎コンを残して更地になっている。大きい船が道路を越えた所で傾いて
いる。ガレキは片付き綺麗になってはいるが、街が消えた衝撃は筆舌に尽くせない。

 陸前高田へ行く途中にある小さい入り江も道路近くまで津波に洗われていた。 
道路右側にある気仙中学校も建物の中はガランドウだ。高田松原に残った「奇跡の松」
の近くまで行きたかったが、道路が閉鎖されており行けず、遠くで写真だけ撮った。
 テレビで見聞きしていたが、その場所は地盤沈下で海に沈み、松原があった事さえ
判らず波が洗い、積んだばかりの波消しブロックも一部壊されている。高田松原第一
球場付近から海を背にして陸を見渡すと、点々と強固な建物だけが残こり、後は
見渡たせる180度が更地になっていた。テレビで見ていると、今ひとつリアリテー
に欠けるが、こうして現場に立つと、自然のパワーの凄さを嫌が上でも体感出来た。
 皆で亡くなられた方々の冥福と、一日でも早い復興を祈り合掌した。  

 復興への援助で寄付も必要だが、こうして直接現地を訪ねお金を使う事も大切だ
お金は天下の回りもの、使えば体を流れる血液の如く毛細血管まで届き、やがては
体を温めてくれる。これから旅行へ行かれる方は、東北の復興の一助にもなり
観光も楽しめる東北旅行を是非、お考えを・・・。


 碁 石 海 岸

 碁石のような黒く扁平な石を主体とする海岸の名勝地、碁石海岸へ到着。
時計も13時を回り「岬」食堂で昼食をとる事にした。先客がいて、ほぼ一杯だ。
注文した海鮮丼が出来上るまで時間が掛かるとみて岬の探索をする。海が荒れて
大きな波が岸壁に当りド〜〜ン!と反響音が聞こえ、恐怖感を煽るBGMとしては
最高のシュチュエーションで、水面から20メートルの所にある展望台からの眺望は
海無し県の人間には格別だ。

 店へ入ると直ぐに食事が出て来た、1200円とは思えない新鮮さとボリュームに
皆、舌鼓を打った。店内にいた他の客はボランテアだった、2グループで皆、結構
疲れた様子だが、若いせいか食欲は逞しいものがあり、海鮮丼と巨大盛りラーメンを
ペロッ!と平らげていた若者もいた。エネルギーを充填し頑張って欲しいと願った。
 窓の上に被災した時の写真があり、水面の位置が記されていたが、この場所は
下の海面から15メートル以上上にある。この場所まで波が来たとは絶句である。

 食後、奥方達もお腹ごなしに散策を楽しみ14時30分碁石海岸を後にした。

  
 食事処 岬 海鮮丼                碁 石 崎 灯 台


 猊 鼻 渓(げいびけい)

 宿泊先の厳美渓温泉(げんびけい)を目指すが、途中の猊鼻渓(げいびけい)で
休憩をとった。(げんびけい)に(げいびけい)余り離れていないし、どちらも
川の傍で、ちょっとヤヤコシく迷惑なネーミングかも知れない。多分、宿のフロント
や案内係りは、1回の案内で何度も説明する事だろう。

 曇天が、さらに暗くなり、ミゾレの歓迎を受けて、厳美渓の宿「いつくし園」
に到着した。今日1日の出来事を肴に宴会も大いに盛り上がる。長い一日の疲れも
あり、皆、早めに休んだ。
 こちらの宿の特徴は食事が美味しかった事、特筆すべきは、閉めに出してくれた
ご飯が新米でピカピカと輝き、おかず要らずの味、一杯で止められずダイエットは
帰ってからと、二杯も食べてしまった(笑)仲間内に生ものがダメな方がいて
あらかじめメールでその旨を頼んでおいたのもご理解頂き、変わりの料理が出て
いたので○だ。従業員が少なく、今一細かいところまでのサービスはないが料金
から妥当だと思う。

 ------ 21日 ------

 明るくなると、遠くの山には薄っすら雪が載っていた。
8時「いつくし園」を出発し、走行5分で途中の厳美渓にて小休止、記念写真の
撮影会だ、吊り橋に皆を並べて撮った。川の薄い緑色、雨に濡れた岩肌やモミジが
綺麗だった。


 岩手県一関市・いつくし園

  厳 美 渓(げんびけい) 

 9時に予約して置いた「古都平泉ガイドの会」のガイドさんと毛越寺山門前で
会う予定になっていた。車へガイドさんを乗せ、効率的に、また省エネで平泉を
見て回ろうと云う訳である。ガイドさんの名前は高橋さんと言い、学者タイプの
気さくな爺さんと云ったところだ。 
 平泉は6年前に訪ねていたが、その時は、勝手に歩き回っただけだった。
旅の楽しみは人と味、どんな人に出会い、どんな物を食べたかが印象に残り、何を
見たかは二の次と言っても良い。



 毛越寺境内にあった芭蕉の碑「夏草や 兵どもが 夢の跡」以前は、北上川を見下ろす
高館義径堂にあったが管理が行き届かないので、こちらに移設したとか・・毛越寺庭園の
浄土を地上に表現したと伝わる浄土庭園、水をたたえた大泉が池の水面下に、橋柱の礎石が
配置されているから見て・・とか、ガイドツアーならではのマニアックで細かな説明が
楽しく勉強になる。


 開山堂         金堂円隆寺跡      常行堂

           大泉が池  観自在王院跡地    出島の立石・伏石

 約800年前、藤原氏が四代に渡りに治めた古都平泉。毛越寺は浄土式庭園が綺麗に
復元整備されており、礎石跡から伽藍の規模が解かり、みちのくの地で栄えた栄華が
高橋さんの名調子で偲ばれた。


  達 谷 窟(たっこくいわや)毘沙門堂

 801年、征夷大将軍の坂上田村麻呂が、ここを拠点としていた蝦夷を討伐した
記念として建てた毘沙門堂。お堂左にある岸壁には磨崖仏が刻まれている。断崖を
削ったか、自然に空いていたか判らないが、穴にお堂を差し込む様に造られていた。
寺の御由緒書きには「吾妻鏡」にまで、その名前が出て来るとあり歴史の深さに
驚いた。 


  柳 之 御 所 跡 地  

 初代藤原清衡、二代基衡の政庁の跡地で、今の県庁にあたるものだろう。
遺構、遺物を収めた資料館の中にあった30センチ程の木の板(くそべら・トイレット
ペーパー)で致したと聞き、ま〜良くあんなものでしたもんだと驚いた。牛車をUターン
出来る広さがある道路や、京からの勅旨に貢物を沢山持たせ難を逃れた話など興味深い。

   
  義経終焉の地  高 館 義 経 堂

 再三にわたる頼朝の脅しや脅迫に耐えかねた秀衡公の子・泰衡の急襲にあい、この地で
妻子とともに自害したと伝えられており、お堂の中には義経公の木造が安置されている。
弁慶立往生の故事で知られる衣川も遠くに見えた。前回の旅行の際、訪ねる事が出来ず
思いを残したので、今回は行けて良かった。


  か ん ざ ん 亭

 高橋さんに紹介して貰い、白山神社の隣のかんざん亭で自然薯ソバを食べた。


  釋 迦 堂                       白山神社  能 楽 堂

 中尊寺の中にあり歴史は中尊寺より古く奥州藤原氏の初代、清衡公が平泉を開く
遥か昔(850年)に中尊寺を開山した慈覚大師円仁によって、この地に祀られた
とされる。本殿より能楽堂が立派で舞台前の庭には能を鑑賞しやすい様見所が段々に
なっており、真ん中には明治天皇が鑑賞した場所が祀ってあった。橋掛かりもあり
舞台も音が反響するように瓶が埋けてあると云う、神社より能楽堂の方が立派だった。


              金 色 堂

 阿弥陀三尊像を安置し、須弥壇と呼ばれる箱には藤原四代のミイラ化した遺体が
安置されて、中央壇に清衡、左に基衡、右に秀衡の遺体が納められ、左壇には泰衡の
首級も納められているそうだ。木製金箔張りの棺に納められ、堂内に安置されている。
金色堂は阿弥陀堂建築であると共に、藤原氏の遺体を安置する墓・廟堂だという。

 金色に輝くお堂、螺鈿細工に施された柱を見た古人は、腰を抜かさんばかりに
驚いた事であろう。陽は昇り、やがては沈み夜を迎える。栄えに栄えた藤原氏が
没落し、隆盛を極めた平泉が普段着の街になり夜を迎えた。そして今、世界文化
遺産となり観光客は昨年の三倍だと云う、平泉がまた夜明けを迎えた。  

 「金色に 眩しく光る 金色堂 眠る四代 思い何処に」


 宮 澤 賢 治 記 念 館

 15時、お世話になったガイドの高橋さんと別れ、花巻温泉へと向かった。
花巻は宮澤賢治の故郷だ。日程表には入れてなかったが急遽、賢治記念館へ立ち寄る
事にした。賢治は、詩人、童話作家、鉱石学者、農業指導家、教師、セロ引き
37歳で亡くなったが、子供の頃を引くと20年、20年間で残したものは計り
知れない。自分は、今からの20年で何が残せるだろうか?
 記念館の中には、賢治の好きだった星座が分かり易く見えるよう工夫された
ミニ・プラレタリュームもあり、こちらへ来たら見学をお奨めする施設だ。
賢治の足跡を尋ねて、今一度、ゆっくり訪れてみたくなった。 


    新鉛温泉 愛 燐 館

 花巻市内へ入ったら17時を回った。周囲は暗くなりミゾレが降って来る。
車窓を流れる周囲の民家の灯りが暗くなっても点かず、節電なのか人口が少ないのか
話題になる。宿泊先の鉛温泉「愛燐館」までは10キロ先だ。思った通り山が交互に
重なる谷間にホテルはあった。5時30分到着、積雪は5センチといったところで
道路状態からも、頃良い到着時間だった。

 「愛燐館」は、思った以上に大きいホテルで結構混んでいた。
露天風呂も渓谷沿いに数が沢山あり、雪見風呂を楽しんだ。温まった足で新雪を
踏み締めると「ジュ!」っとばかりに?湯気が上がるが、その湯気も最初の2足だけ
一気に冷えて冷たくなり、また露天に飛び込む。雪降る露天風呂はこんな楽しみも
待っているのだ。

 お楽しみの食事は、HPを見て思っていたものと違い、昔の大型旅館で出していた
刺身、テンプラ、焼き物等といったもので、チョット残念な結果だった。もっと
残念だったのは、リクエストして置いた生ものがダメな方の前にお刺身が並んだ事だ。
係りの女の子が謝り、上司が料理を持って来るのに10分以上掛かり、持って来たが
料理が、合鴨のローストしたもの、見た目が生ふうで、その方は結局食べなかった。
 上司は口上を述べ刺身を持って行ってしまったが、オイオイだ。その刺身、次へ
回すのかい?それとも捨てるの?気が利かないナ!「宜しかったら皆さんで召し
上がって下さい!」だと思うのだが。 チェックアウト時、その上司を見つけ
食べなかった旨話し、土産を一つ頂き傷心?の彼女に渡した事を報告して置きます。

 食事も終わり20時から民謡ショーがあるというので皆で出掛けた。
太サオから流れる津軽三味線や民謡に聞き入り、ダーツも楽しみ花巻の夜は更けた。

 ------ 22日 ------


 
 初老グループの朝は早い、誰かが咳きをしたのが合図か?暗い内に風呂へ出掛ける。
ゆったりと時間が流れTVを見ながら世間話などしていると、ドアをノックし
渡辺さんの奥様が入って来て、今日の着るものやらバックの整理などをして帰って行く
今度は鶴田さんの奥様登場だ。皆さん同様の動きをして部屋に帰って行く。35年以上
夫婦をしているベテランご夫妻で、見ていて、ほのぼのとした空気感が伝わり心地良い。

 午前8時、ホテルを後に遠野を目指した。 

 国道283号線を東に進むとナビは信号で左折を示すので従って進んだ。
県道160号線だ、山を登り出すと昨日の雪が残っている、対向車も後続車も来ない。
何か変だ?カーナビは最短距離でルートを探るが、標高が高い所に雪が道路に
着いているか?いないか?は関係ないのだ。地元の方は安全な方を走るので雪が無い
方を選ぶ、ちょっと距離が長くても雪が無いほうが安全に走れる。160号線は
舗装されているので回り道としては問題はないが・・やられた!カーナビトリックだ。
以前、カーナビを使い四国で山中を走せられた経験があった。
 何も無かったから良かったが、カーナビを全面的に信用してはいけない教訓を残した。

 「遠野ふるさと村」で休憩をとった。売店で地図を貰い検証したが???遠野だけに
山中でカッパに騙された感のある遠野入りだ。 

 
  遠野  か た り べ 館

 10時には遠野市内に入った。
「とおの昔話村」「遠野城下町資料館」を見ながら時間調整して、かたりべ館へ入館する。
 遠野は民話のふるさと、かたりべの菊池さんがやわらかな方言で語られてゆく昔話は
心をホッとさせてくれた、当日は馬に恋した娘の話とカッパ淵の話だった。


  常堅寺 か っ ぱ 淵

 次にカッパ淵へ向かった。
常堅寺の山門から入り左奥にカッパ淵があったが、川幅も狭く水量も少なく、エツ!ここ
ってな感じだ。竹ざおの先に付けたキュウリが川面に揺れ面白かった。橋の欄干の所に
カッパ淵を映すライブカメラまで設置してあり、本気の取り組みがユニークでエジャナイカ!
 境内に狛犬の頭がへこんだ珍しいカッパの狛犬がお座りしていた。


  北 上 駅

 12時、慌しく遠野を後にして283号線を北上駅を目指した。
13時にはトヨタレンタに着き、店を確認してガソリンスタンドを探すが周辺にない。
渡された書類の中からスタンドの電話番号を入力して、最後までナビのお世話になった。
 駅舎のレストランで遅い昼食をとり、14時29分発「やまびこ60」に、間違わずに
全員で乗り込んだ。 

     
 光のパイプオルガン       

 詩・宮澤賢治「告白」から 
「・・・・みんなが町で暮らしたり一日あそんでいるときに
 おまえはひとりであの石原の草を刈る
 そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
 多くの侮辱や窮乏のそれらを噛んで歌うのだ
 もしも楽器がなかったら
 いいかおまえはおれの弟子なのだ
 ちからのかぎり
 そらいっぱいの
 光でできたパイプオルガンを弾くがいい」

 新幹線の車窓から、雲間から光が地上に降り注ぐレンブラント光線が見えた。
またの名を天使の階段・梯子とも云うが・・・昨日行った賢治の記念館で読んだ詩の中に
「光でできたパイプオルガン」の記述があった。自然が織り成す車窓のドラマを見ながら
まるで、賢治の見送りを受けているような感覚になった。




オーナー Wednesday, 11/23 18:29

  下関・福岡を訪ねる旅
        平成23年11月14・15・16日  2泊3日 
 
 ------ 14日 ------


 名古屋にて「のぞみ30号」を待つ

 
 下関・海峡夢タワー        乃木神社 


 下関「しずか」にて遅いランチ





 門司レトロ街にて


 
 春帆楼にて天然ふぐコース

 ------ 15日 ------

 
                        唐戸市場


     赤 間 神 宮


     巌  流  島


     大 歳 神 社


   大 宰 府 天 満 宮


   九 州 国 立 博 物 館( 契 丹 展 )    


  韓亭にて昼食



 ホテルオークラ福岡


 居酒屋・なぎの木(アラ刺し)


 てら岡(いか姿造り)


    中 洲 屋 台

 ------ 16日 ------


   長 安 寺( 福 岡 大 仏 )


  櫛 田 神 社


 キャナルシテイー


 福岡美術館(故宮展) 


 ちんや


  福 岡 駅 にて 


オーナー Thursday, 11/10 09:07

  白川郷・五箇山・高山・郡上八幡を訪ねる旅
    富士吉田市観光振興サービス開発等調査研究委員会  平成23年10月25・26日 
 
 平成23年7月27日、富士山を世界文化遺産登録へ向け、山梨・静岡両県代表が文化庁を
訪ね推薦書原案を提出した。そこで富士吉田市でも登録へ向け民間も巻き込み、皆で盛り上げる
意味合いで研究委員会を作り、御山倶楽部副会長の立場で委嘱されたのである。
 
 当初は、平成16年に文化遺産に登録された紀伊山地、山岳霊場と熊野古道などを見に行く
予定であったが、15号台風で被害に遭った為、急遽、白川郷・五箇山・高山・郡上八幡に
変更となった。

 ------ 25日 ------

 集合は6時、富士吉田市商工会議所だ、予約して置いたタクシーで向かった。
丁度、陽の出の時間と重なり東の雲が良い塩梅に焼けて来る。勿論!いつもだと出掛けている
時間だ。運転手さんにお願いして遠回りし、電線の写らない場所まで行き数枚撮り、会議所へ
向かった。雲が綺麗に焼け、久し振りの良い陽の出と御山に見送られる1泊旅行となった。

  

 バスは松本ICで降り、野麦街道を左に梓川を見ながら進む、奈川渡ダム辺りまで来ると
山々が紅葉が始まっている。入山トンネルはトンネルの中で二股に分かれる珍しいトンネルで
この地を訪ねるのは25年振りだった。



 高山を通り過ぎ11時、白川郷到着。どぶろく祭りで有名な白川八幡神社が迎えてくれた。
萩町合掌造り集落の傍にある駐車場へバスは入り、徒歩で庄川に掛かる吊り橋の出あい橋を渡り
白川の郷へ一行は進んだ。自販機の外カバーが木目調になっている、無ければ一番良いのだが
こうした配慮は嬉しい。和田家を拝観させて頂く、4期16年、村長をされた方の家で、今も
住宅の端に住まわれているようだ。



 外で用を足したくなり玄関の右脇へ回り込むと丁度ドアが開き小便用のトイレが2ツ
並んでいる、飛び込んで用を足していると後ろから「すいません!家人のトイレなんですが・・
・・」「すいませ〜ん!途中で止められないもんで」恥ずかしながら気持ちだけ急いだ・・・。
コントのような話であるがホント!和田家の方 ゴメンナサイ。



 合掌造りの2階から上には通し柱が無い、あると作業場として使いかって悪いからだ。
先人は賢く合理的、その風土に合わせた住み方をしている。建物の周囲に流れる用水は
雪を溶かす為だったり、池には鯉を飼い、観賞用と食用にしていた。水路にゴミが無く
水を大切にしているのが判る、水路の煌きが印象に残った。



 明善寺の山門や本堂まで藁葺きで趣きがあった。

  

 高台の萩町城跡まで行きたくてタクシーを探したが見つからなかった。残念に
思っていたら、昼食後、委員長の気の利いた一言で大型バスのまま城跡まで向って
くれる事になった。白川郷と云えば、この高台から見た景色、ここから見なければ
行った事にならない。

 「藁葺きの 屋根に苔生す 合掌の 小雨に煙る 白川の郷」

 越中五箇山・相倉


 30年振りに訪ねた。昔、友達3人で直ぐ傍にある平村の友人の親戚へ泊めて
貰い、相倉まで遊びに来たが、雰囲気だけは昔と変わっていなかった。土地が
狭いので駐車場の確保と田圃の地下トイレに工夫の後が忍ばれた。



 集落の中に、藁葺き屋根の共同トイレがあったが、残念な事に掃除が行き届いて
おらず何ヶ月も掃除をしていない状態だった。民家の石油タンクの防油提のコンクリに
板を回したり、タンクの色を茶色く塗る気遣いは嬉しいが、出来れば全戸統一して
欲しいものだ。

 昔訪ねた村上家(車中から)  菅沼合掌集落
      



 バスは定刻の16時、高山グリーンホテルに到着した。
細谷委員長、佐藤さんと私の3人が同室となり、誰言う事なく、食事時間まで時間がある
高山市内の見学に行こうと話は決まりタクシーに飛び乗った。運ちゃんに相談したところ
近くの桜山八幡宮にある高山祭屋台会館に連れて行ってくれた。閉館30分前、中では
巫女さんが、最後のお客であろう我々に詳しく屋台の説明をしてくれ。御輿に付いた
菊のご紋章に付いて尋ねると、天皇家の菊の花びらは16枚だが、こちらのものは17枚
1枚違えばデザインが変わるので、使用に問題なしだそうだ。そういえば翌日訪ねた
郡上八幡の安養寺にあった灯篭の御紋も、数えたら17枚だった。

 神楽台・行神台・鳳凰台・石橋台が展示され、その絢爛で豪華な山車にため息が出る。
各台には、それぞれ彫刻や仕掛け人形が施され飛騨の匠の技術力の高さを伺い知る事が出来た。
歴史ある街には良い祭りがある。



 男だけの宴会が粛々と行われ(ま〜、研修旅行ですから・・・)物産店を眺め
土産など買い求め、早々に休んだ。





 ------ 26日 ------

 予定を30分早め、8時30分の出発となった。
明神町の駐車場へバスを止め、当初予定に無かった高山の街を1時間程散策する。
それぞれの家が、昔からの町屋を工夫して上手に使い魅力的な街となっている。
 バスの中で同行の方が、こんな話をされていた。おかあちゃんが旅行に行くから
「何処へ行く?」と聞いたら、また高山。もう10回も来ているかも知れない?
「何でそんなに?」と聞いたら、まだ回りきれていないのだそうだ。
 何軒かお店に入るとお財布をくすぐられ、ご婦人は堪らないだろう。魅力的な
店構えだったり、内装や販売している商品も洒落ていた。確かに高山は観光
先進地だ、何度も何度もリピートする魅力を創出している。屋台を見て
高山祭りで実際に動く屋台を見たくなった、近々に再び訪れるだろう。



 トンネルの多い東海北陸道を南下11時、郡上八幡へ降りた。
八幡博覧館で予約しておいたガイドの塚原さんに案内して貰う。博覧館の中は郡上の街を
昔から現在までを解かり易く集約してあり、特筆すべきは郡上踊りコーナーがあり、触り部分を
ユカタを着た女の子の指導で踊れる事で、十曲十種の内から「かわさき」と「春駒」の実演指導を
受けて皆で踊ったが、このように観客を巻き込み体験出来る事は、想い出が持続するので良いと
思う。



 職人街・鍛冶屋通りは住民が昔から水を大切に、そして上手に使っている事が判る。
家と水路の間に花を植えたり無機質なエアコン室外機に木製のカバーを付けたりする行為で
景観を配慮し気遣っている事が判り、訪れた人を気持ち良くさせてくれる。遠来の親戚・
友人が家を訪ねる時、昔、おじいさん・おばあさんが言っていた「みっともないから綺麗に
しとけ・・・」この気持ちと一緒である。



 民家の軒下に何気に飾られた「見とくわ館」の俳句は、郡上を訪ねたお客さんに書いて貰い
それを飾ってあるだけのものだが、これだけで、飾って貰っている客人はリピートする可能性が
出て来るし、俳句の好きな方には堪らず、見て歩く事だろう。



 遊び心に溢れたバス停の案内。「見て周り 乾いた喉に 宗祇水」なんちゃって♪



 写真・左から2番目を見て欲しい。これが、いつも見ている川の印象だ。ところが
郡上八幡は違っていた、住民総出で大掃除をした直後に行ったと思える程完璧に
川の中にゴミが無い、住民が住んでいるのを疑う程の綺麗さで完璧だった。こちらの
側溝から流れ落ちる下の鋼蓋にゴミが落ちているのを発見し、人間の所行を確認出来て
安心した。多分、捨てた輩は住民ではなく観光客であろう。民家の間を流れ、眩しい
ほど煌く川面と郡上の住民が重なって見えた。 



 郡上八幡樂藝館は元の町役場を上手にリニューアルし、観光案内所の機能を持ち
土産も置いてあり飲食も出来た。「郡上青山倶楽部」と名付けたサポーター制度が
興味深く印象に残った。



 郡上は食品サンプルが有名「サンプル工房」に立ち寄り製作工程や作品を見せて
貰ったが、肉の質感やビールの冷えた感じまで出す技には舌を巻いた。新町通りは
なんて事無い普通の商店街だが、祭りの日には4〜5万のお客様が集まり踊るそうだ。 



 「いがわ小径」を歩いたが、用水は地区住民が昔から大切に守られ管理されており
大きな鯉が泳いでいるのは普通だが、足元で尺イワナやアマゴが泳いでいたのには驚いた。
水の綺麗さと水量があるから出来る事だと思う。水路脇に何気なく置かれた石は自然を
演出すると共に腰を下ろせる休み場所としても使え、そんな配慮が嬉しい。



「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」の歌詞で知られる郡上おどりは
400年にわたって城下町郡上八幡で歌い踊り続けられてきたもので、江戸時代に城主が
士農工商の融和を図るために、藩内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め
「盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよい。」と奨励したため年ごとに盛んに
なったものです。(郡上踊りHPから)

 郡上踊りの規模を HPの日程表 を見て驚いた。3ケ月に渡り行い、お盆の13〜16日は
徹夜踊りと称し午後8時から午前4時迄踊るのだという。「  郡上踊り 」パワー溢れる
凄い祭りがあったもんだ。地下に眠る郡上八幡城主は、してやったりと思っているに
違いない。

 郡上八幡は郡上踊りと水の街。八幡城に見つめられ、吉田川で川ガキが遊び成長する街
自分達が遊んだ川を愛し、子供の頃から踊った祭りを愛し、水を大切にし未来に贈る
そんな文化が自然と備わった誇りあふれる魅力的な街だった。



 郡上を後にして遅い昼食となった。昼食場所は長良川にヤナを持つ「みやちか」さんだった。
鮎料理を頂いたが、鮎の塩焼きは絶品!箸先で骨回りの身をチョンチョンと押し、シッポを切り
そして頭を持って引き抜いたら綺麗に骨が抜けた。天然鮎の証拠だ。食後、長良川のヤナに下りた。
高台の店から見るのと違い、近くで見ると大迫力。大量の水がヤナ場に流れ込んでアマゴが1匹
掛かっていた。思いがけなく、行ってみたかったヤナ場で食事が出来て良かった。



 帰路、中央道から夕焼けに染まった八ヶ岳が見えて綺麗だった。さあ!次は富士山の番だ
県境を越えた辺りから正面に見えて来る、バスの運転主にお願いして隣でカメラを構えた。
夕闇が迫りコンパクトデジカメでは限界だ、10枚程撮った中から1枚だけが何とか見れた。
どこへ行っても帰り道では富士山を探す習性は変わりそうも無い。

 富士山を世界文化遺産登録 へ向けて・・・重いテーマだ。
平成23年7月27日、富士山の世界文化遺産登録を目指し作成を進めてきた推薦書原案が
山梨・静岡両県から文化庁に提出され、富士山世界文化遺産登録の実現に前進したが
山梨県側市町村の歩調は合っているのだろうか?静岡県側はどうだろう?まずは富士吉田市民の
コンセンサスを得て気持ちを合わせる事から始めなければと思うが・・・
 24年夏〜秋 イコモス の現地調査が行われる。その際、北富士演習場で実弾演習が行われ
砲撃の音をイコモスの方々が聞いたらどうだろう。北富士・東富士演習場は富士山麓にある。
実弾演習は文化的な行為だろうか?危惧されるところだ。


オーナー Sunday, 10/23 13:13

  信友会・台湾ゴルフ旅行   平成23年10月16〜19日 

 ------ 16日 ------

 6時30分集合出発、新屋にある人材センターへ、予約して置いたタクシーで
向かった。車で行かなかったのは、留守の間に定期点検を済ませてしまえと言う魂胆からだ。
センターへ着くと、10分前だというのに殆どの方が既に来ている、挨拶してバックを
積ませて貰い、席に着いた。間もなく出発。途中下吉田バス亭で1人拾った。
 ここの所見えていない御山が、紅葉が始まり五合目から下半分だけ見せて
見送ってくれた。「行って来るよ〜♪」暫しのお別れだ。

 石川ICでトイレ休憩を取ると隣にバスが滑り込んで来た。地元のバスだ、それぞれが
サッカーの試合終了時、ハイッタッチで選手の健闘を讃え合うシーンにも似た光景が繰り
広げられ面白いかった。同級生で鬼怒川温泉へ向かうとの事だ。
 首都高は平日と違って、上りは空いており停滞情報に赤い印は無かった。

 =羽田空港=


 今年の4月に韓国行きのオバチャン軍団を送って第2ターミナルまで来たが
入ったのは初めてだ、江戸の雰囲気を醸し出すレストラン街、百膳でとろろ御膳を
食べたが、器と値段がデラックスだけで味は程々だった。

 信友会メンバー13名を乗せたエバー空港BR189便は羽田空港を離陸した。
離陸時、ANA機のコクピット上に御山が見えたので「パチリ!」行って来るよ〜♪
 
 =台湾松山空港=


 
 松山空港は台北市内の端にあり、飛行機は園山飯店を左に見ながら淡水河を
横断し、街に突っ込んで行く感じの着陸で、背筋がモゾモゾする恐怖感があったが
無事着陸、初めて台湾の地に立った。
 メンバーの殆どの方が、超がつくリピーターで、そんなところからホテルに
近い松山空港へ降りる事が出来るエバー航空の利用となった。因みにホテルから
15分で空港まで行く事が出来るのだ。
 
 =龍山寺=


 1本1本の柱が、石を削った竜の彫刻で出来ており見事だ。丁度、日曜日
沢山の参拝者で賑わっていた。

 =台湾総統府=
 

 バイクの数が多い、ファミリー3人で1台のバイクに乗っているのを
何回も見かけた。また旅の間、注意して街中を見ていたが、終日電線を見かける
事は無く感心した。どこかしらレトロな雰囲気を醸しだす台北市、また
ゆっくり訪ねてみたい街だ。

 =國父記念館=


 衛兵交代式まで時間があるからと國父記念館に立ち寄った。巨大な伽藍の中には
孫文の像が椅子に座わり、両端に衛兵が立っている。どうやら、ここでも交代式が
あるようだ。4時、交代式開始だ。銃床を床に打ち付ける音が伽藍に響く、軍靴の
底に蹄鉄のように付けた金具が石畳に当り、一定のリズムを奏で移動する。
1時間に1回行われる交代式は儀式を美の極致まで昇華していた。

  =王朝大酒店・ダイナステイーホテル=



  ------17日 -----

 =長庚GC=



 南コースの1番には、何と!コースの真ん中にお墓が2つあった。
理由があっての事だと思うが、墓の住民は墓上を飛び交うボールを、どんな風に
眺めているのだろうか・・・鉄砲の弾ではないから安心しているとは思うが・・・
 ま・な〜〜む♪ スルーで回り、日本のゴルフ場のように食事を摂らないので
プレー後に食べた肉ラーメンが沖縄のソーキソバに似て美味しかった。

 ゴルフの結果

 =自由広場・中正記念堂 忠烈祠・閲兵交代式=





 日本で云うと靖国神社あたりになるのだろうか、戦争犠牲者が祀られている。
こちらでも衛兵の交代式が見られる、門から記念堂まで、およそ200メートル位
だろうか、行進する脇を衛兵の真似をしながら歩く小父さんの、似ていない格好が
面白く印象に残った。
 記念堂の右脇にある建物には、台湾の国旗である青天白日旗を創った烈先東的陸の
像が祀られていた。

 =彭園湘菜館=


 信友会御用達である黄さん(おばちゃん)が、4日間を仕切りセットしてくれる
全〜部お任せの楽チンツアー、夕飯は湖南料理の彭園湘菜館へ入店する。夕飯時で
店内は満席だ、2階の予約してある部屋へ入り食事をしたが、提供された料理は
美味しく口に合った。特に最後に出たフルーツ・マンジャクロウ、緑の皮付きの
フルーツだが、初めて食べたが特に気に入り、その、ほのかに甘くチョッピリある
酸味とが相まって、歯ごたえもサクサクで美味しく、コンビにで買い求め冷蔵庫に
入れて置き、帰って来る日まで食べた。

 カラオケ


 ------ 18日 ------

 =林口GC=


 ゴルフの結果



 台湾の友人・同級生でもある三壁君が林から打ったボールが木の枝に
乗っかってしまった。ある意味ホールインワンより珍しい珍事なので写真に撮った。
 黄さんの功労でゴルフ場使用料は共に食事して7000円しなかった。

 =芳家餐廳=



 この店は上海料理を出してくれるお店で野菜を多用するヘルシー料理だ。
ソラマメと菜っ葉?を使った料理が美味しい。東破肉、貝殻状のパンに
豚の角煮を挟んだものがメイン料理だろう、そんなに脂濃くなく美味しかった。

 =餃河街観光夜市= 


 ホテルに帰り荷物の整理をしながら、まだ孫の土産を買っていない事に気が付いた。
時間は9時半、まだ大丈夫だ、1人で夜市へタクシーで向かった。餃河街観光夜市へ
タクシーは案内してくれた。門をくぐると人の歩く通路は出店の間に交互に一本づつ
あるだけで、その広さも2メートルもない。食事処の直ぐ横にペットショップが
あったりネクタイ屋があったり種々雑多の店が続く、ども店も、それなりに繁盛
していた。中で海苔巻き屋を見付けた。コンビにで売っている円錐型のやつだ。
円錐型のご飯を海苔で巻き、具を上に載せる。具はタマゴ・イクラ・マグロ?等
色々あり、チョッとチャレンジしたくなったが、アレルギーで湿疹が出ている最中
でもあり遠慮した。レストランも良いが、こんな夜市の食べ歩きも健康な時であれば
楽しいかも知れない。

 ------- 19日 ------

 =故宮博物館=


 ここへ来ずして台湾へ来たとは言えない、その位大切な観光ポイントである
故宮博物館だが、見学者で混み混み!また1時間半の見学時間では「ハクサイ石」と
「角煮石」をチラッと見ただけ、偶々お忍びで来ていた国会議員の舛添氏に
会えたのが、おまけといったところだ。もう一度、じっくり来ないと・・・。

 =圓山大飯店=



 松山空港に着陸する時見えて印象に残った巨大な建物が圓山大飯店だった。
最高の眺望が広がる金龍レストランで広東料理を食した。まずは台湾ビールで
「乾杯!」次は紹興酒、みんな元気だ! 飲茶を頂くが、どれも美味しかった。

 =松山空港=


 過ぎてしまえば3泊4日は「アッ!」と言うまである。
麗しの島台湾、知れば知るほど輝き魅力を増して来る島、必ずやまた訪ねたい。
   

オーナー Wednesday, 6/22 19:51

   神奈川県三浦市・営業開発課を訪ね研修する旅

 平成23年6月14・15日 富士吉田市商工会議所・観光サービス部会は1泊2日で
神奈川県三崎市・営業開発課 観光先進地を訪ねる研修旅行の旅だ。
 14日 午前8:50分会議所に集合し、15人の部員を乗せたバスは9:00出発した。    
バスガイドは富士急行の名物ガイド原さん、他に予約が入っていなければ必ずと言って
良いほど部会のお世話をして貰っている。



 バスは2時間程で三浦半島の先端にある三崎港へ着いた。
市場を覗き時間を調整し12:00営業開発課お薦めの”割烹柳”で昼食となった。
 マグロづくしの薬膳弁当はマグロの赤身の刺身が新鮮で美味しく、マグロのハン
バーグには甘いあんがかけられており食感の違いを楽しめた。尾のみを使った煮物
マグロとネギを和えたヌタは美味しく、酢のもの好きとしては御代わりしたいほどだった。
 後で聞いた話では、こちらのメニューも営業開発課と話し合って決めたそうである。

三浦市教育委員会

 参考資料として 三浦市のHP を見て驚いた、吉田市長も只者では無かった。3S
市長として市長就任以来、取り組む基本的な姿勢として「シンプル・スピード・サービス」の
重要性を提唱しており、HP上や広報紙面上において「3S市長の経営視点」という市長コラムまで
連載してる。発想は行政の垣根を越え、株式会社MIURA・C ではないかとさえ思えた。
 放射線情報からRSS(RSSリーダーを使い、ブラウザを起動して「三浦市ホームページ」に
アクセスしなくても自動的に新着情報及びイベント情報をチェックする機能)までHP上にあり
残念ながら我が富士吉田市HPの10倍以上先を進んでおり覚醒の感がある。さらに、新着情報
「シテイーセールス」には、富士吉田から研修に来た旨が綴られており、16日に更新され
HPへUPされており、そのスピードに感嘆し舌を巻いた、素晴らしい。行政のホームページは
行政を映し出すカガミ、富士吉田も頑張って貰いたいものだ。

 市役所の別館、教育委員会の建物に案内され研修は始まり、営業開発課の稲田さんが
プレゼンをして下さった。M・C・S・P(みうらシテイセールスプロポーション)と題されたお話は
2009年3月に日本観光協会主催の優秀観光地づくり賞金賞総務大臣賞を、さすがに
受賞しただけあるお話で、特筆すべきは こちら

     「行政革命の基本戦略5つの宣言」です。   (三浦市HPから)

  株式会社 三浦市は「財政」、「人財」、「情報」、「組織」、「サービス・事業」という5つの
 経営資源ごとに次のことを市民に向けて宣言します。あくまでも明るく積極的に前進する
 私たちの行政革命に向けた宣言です。
   
@財政戦略  身の丈メリハリ宣言!! 〜 脱・アレもコレも
   市の財政は長年の「アレも、コレも」の発想でどんどん膨らんでしまいました。将来への
   備えや戦略的な投資のことも踏まえて、「アレか、コレか」とメリハリのある事業選択を
   することによって財政規模を縮小し、身の丈に合わせます。

@人財戦略
  実力派仕事人宣言!! 〜 脱・年功序列人事

   何よりも採用年次や年齢を重んじ、みんな仲良く昇給昇格する年功序列人事をやめます。
   また、成果を出せる可能性に着目して人を雇い、その人の長所を伸ばすべく育て、成果を
   挙げれば重用する実力志向の仕組みに変えます。

@情報戦略 
  まるはだか宣言!! 〜 脱・閉鎖的ムラ社会

   市の信用力を高めるため、そして三浦に来て、知って、買って、住んでもらえるまちに
   なるために、「求められれば公開する」のではなく「是非全部見てください」とまるはだかに
   なって市民の中に、日本中に、そして世界中に飛び出す情報受発信と意思疎通のための
   仕組みをつくります。

@組織戦略
  庁内分権宣言!! 〜 脱・あなた任せ体質

   「この仕事はうちの仕事じゃない」、「この仕事の責任は誰が持つのか決めてくれ」という
   ような職員、とりわけ管理職の言葉を耳にすることが決してない、自ら権限と責任を買って
   出る管理職が政策の執行を主導する分権型、事業部門中心の庁内体制をつくります。

@サービス・事業戦略
  協働のまち宣言!! 〜 脱・官製まちづくり

    公共とは行政(官)だけが設計し役割を担うのではなく、広く住民、事業者、市民活動
    団体等の市民も一緒になって担うものであるというまちづくりの原点に立ち返り、各種の
    地域課題に対する行政責任のあり方と公的なサービス・事業の提供手法のあり方を、
    行政と市民の役割分担という観点から見直します。

 まさに有言実行!まるはだか宣言!>世界中に飛び出す情報受発信と意思疎通のための仕組み・・
上記文言は市HPから頂いたものだがpdfをコピー&ペーストで貼り付ける事が出来た。これは
行政のホームページでは、ここまでしてくれるサービスは今まで見た事が無い。ほんとに、まる
はだか!だ。見られてナンボ!のネットの世界では、この姿勢が大変重要で、他の行政も見習って
貰いたいものである。

 研修の中で一番驚いたのは、人口4万8千人の三浦市職員数が400人と聞いた。富士吉田市は
5万2千人に職員が750人、この差はいったい何であろうか? 市民は多少は勉強して、もっと
行政を注視しなければいけない。単純に250人多いとして1人年収400万で掛ければ10億円が
浮く計算だ。大変実り多い研修であった。



 バスは三崎から横須賀にある記念艦”三笠”へと向かった。
山から下り、高架橋から見下ろすと入り江の中に米軍の艦船が見え、右側奥には海上自衛隊の
潜水艦も見える。小学校の高学年からプラモデル作りをしていたので本物の軍艦を見ると、
興奮してツイツイ気持ちが高ぶってしまうのが分かる。  
 「三笠は、明治35年(1902年)にイギリスで建造された戦艦であり、日露戦争においては
東郷平八郎司令長官が乗艦する連合艦隊の旗艦として大活躍しました。特に、明治38年の
日本海海戦では、ヨーロッパのバルト海から派遣されたロシアのバルチック艦隊を対馬沖で
待ち構え、集中砲火を浴びながら勇敢に戦い、海戦史上例を見ない圧倒的な勝利に大きく
貢献しました。」記念艦”三笠”HPから
 
 船内講堂でビデオ鑑賞した後、船内を見て歩くが1時間では足りなかったが、明治人の 
国を想い、気骨ある魂に触れた一時であった。以前訪ねた瀬戸内海江田島にある海上自衛隊
第1術科学校・旧海軍兵学校の講堂に飾られていた”五誠”は東郷元帥の遺したもので
ある事を、こちらで知った。

   至誠にもとる事なかりしか。
   言行に恥ずる事なかりしか。
   気力に欠くる事なかりしか。
   努力に足らぬ事なかりしか。
   無精に過ぎる事なかりしか。       



 宿はインターコンチネンタルHで帆船の帆をイメージさせてくれる建物で、もう20周年を
向かえている。14階の1室へ、偶々遠縁でもある渡邊君と一緒の部屋になった。眼下には
港を見下ろし、ベイブリッジが見える男二人では勿体無いロケーションだ。
 6時半に集合し、バスで中華街へ繰り出した。駐車場から四五六飯店まで街を歩いて行ったが
人通りが少なく、景気の波がまともに横浜も覆っている感じがした。漢帝廟へ立ち寄った後
美味しく中華料理を頂いた。



 9時自由解散となり、渡邊君とタクシーに乗り、サザンのLOVE AFFAIR〜秘密のデートに
 ♪マリン ルージュで愛されて 大黒埠頭で虹を見て シーガーディアンで酔わされて♪
登場する、Barシーガーデイアンを訪ね、曲を瞑想しながらカクテルなど飲んだ。サザン
オールスターズの曲は何を隠そう愛唱歌なのだ。
 世も更けて来るが、このまま寝るのは折角の横浜の夜が勿体無い!繁華街へ繰り出す事に
合意し、タクシーに乗車、地下のお店に入店した。広くゴージャスな店構え、女の子も10人も
いるが客は自分達を含め4人しかいない。やはり3月以降は暇なのだと言う。
1時間半遊んで2人で10000円は安い、吉田に欲しいところだ。まじめにHで就寝♪



 時間にゆとりがありそうだったので急遽、横浜防災センターの視察を提案、前日ではあったが
受け入れ可能となった。Hを出て、9時前には到着し開くのを待って入れて貰った。



 中では地震体験・煙体験・暗闇体験をグループに分けて体験させて貰ったが、地震の
擬似体験は係員がボタンを押し、地震が来る事が分かっていても怖いものだ。初めて
地震装置へ乗ったが良い体験をさせて頂いた。暗闇体験は、小さい部屋でも暗闇になると
広く感じるた。床に物が転がっていたりする事を想定すると、最近は誰でも持っている
携帯電話を使って明かりを取らせ、脱出させる方が現実的ではないかと思った。

   

 午後、上野で自由行動となり、久し振りに上野の森を散策した。彰義隊の墓で
手を合わせ「日本芸術院会館」で芸術院賞受賞作品に触れ「上野の森美術館」では
東光展の作品を観覧、「国立博物館」を回ったが、特別展として”手塚治虫ブッダ展の”も
しており90分では足りなかった。上野だけで1日かけても良い。




日本の技術の粋を集め完成に向かうスカイツリー




 大江戸博物館、初めて入った、頭でっかちの巨大建物。
江戸の文化を知り、感じる事が出来る施設で、300年以上前に水道水として専用の川を引き込み
水の通る橋を作る、瓦屋根の続くJINの世界をタイムスリップして見たくなった。
 何処に行っても「富士」に反応してしまう体質、富士塚のところで足を止め、浅草では客寄せに
木造の富士山を作り、2年程で台風に遭い、修復出来ず取り壊してしまった話など初耳だった。
ツイツイ集合時間を忘れ、電話で呼び出しを受けてしまった。
 お江戸は今もワンダーランド、機会を作り何度も足を運びたくなった。今回の研修旅行は
そんな切っ掛けを作ってくれた。


オーナー Sunday, 3/20 21:29

   22年会 中国地方を訪ねる旅!

 平成23年3月14・15・16日 2泊3日で、昨年、自治会を運営した仲間5名に
それぞれ連れ合いと一緒の全員10名で中国地方を訪ねる旅に出掛けた。

14日  4:30  遠山宅 集合・出発 
     7:00  羽田パーキング P2               4,500円    
     8:15  羽田出発  JAL1603    往復    292,000円
     9:50   広島空港着 レンタカー用意ハイエース 62,496円   
    10:30  原爆ドーム                   500円
    12:00 お好み屋台村にて昼食    15,000円
    12:50 出発
    13:40 渡船にて厳島神社へ                1,700円
           駐車代・参拝料                4,000円     
    15:40  岩国 錦帯橋へ 岩国城 柏原コレクション   8,000円
           岩国国際観光ホテル」  0827-43-1111 138,000円

15日 9:00  秋芳洞へ
            123キロ 2:00
  国宝・瑠璃光寺五重塔             2,000円  
       昼 食                15,000円 
   12:00  秋芳洞 12,000円
   13:00  出発
   14:10  萩 着  34キロ  
         市内見学 松蔭神社 伊藤博文旧宅 高杉晋作誕生地 25,000円
           萩博物館 野山獄跡 堀内鍵曲 旧萩藩校明倫館
           宵待ちの宿 萩一輪   0838-25-7771    138,000円
16日 9:00  チェックアウト 散 策
   12:00  萩 出発    71キロ  2:00 
   14:45  山口宇部空港  JAL1644
   16:10  羽田空港
   19:30  富士吉田 着  
 
          レンタカー燃料代                 8,000円
          高速道路使用料                 5,300円      
          ホテル内ドリンク代  20,000円
                          合  計    751,826円
                        −−−−−−−−−−−−−−−−
                        予算1人あたり    75,200円






































オーナー Sunday, 9/19 11:58

   「長浜・近江八幡」研修旅行!

 平成22年9月4日(土)滋賀県「長浜・近江八幡」へ、まちづくり先進地視察研修に
行って来た。メンバーは御山倶楽部8名・本町大好きおかみさん会11名・堀内市長・
富士山課2名の計22名だ。御山倶楽部もおかみさん会も共に、まちの行く末を案じ
活性化の為に行動実践するグループで、そんな所から白羽の矢が立ち、先進地視察研修に
連れて行って貰える事になった。

 午前3時起床し、20分には近所の奥さん2名をピックアップし、サンクルーの
吉澤君と差し入れのパンも車に載せ市役所へ向かった。早朝行動は慣れているが、やはり
3時は早い!バスの中ではウトウトしていた。東名高速日本平PA付近で、オレンジ色の
太陽が昇ったのを携帯で撮り、ツイッターでつぶやいた。 どうやら、つぶやきは習慣に
なってしまったようだ。
 
 下記は今回のタイムスケジュールだが、かなりハードな内容だ。普通であれば1泊2日が
当たり前の距離だが、1日でこなす弾丸ツアーとなった。

03:45  富士吉田市役所 集合
04:00  富士吉田市役所 出発
      東名高速道路 途中休憩
09:00  長浜市 神田PA到着 時間調整
10:00  まちづくり役場にて研修
      黒壁ガラス館等、街中を研修   
12:30 昼食 「ふじ石亭
13:30  バス移動    
14:30  近江八幡市内見学 
16:30 
17:00  帰 路 東名高速道路 途中休憩
23:30  富士吉田市役所到着



 「明治時代に第百三十銀行長浜支店として建築され、その外壁が黒漆喰の様相から
『黒壁銀行』『大手の黒壁』の愛称で親しまれていた建物を、その保存と中心市街地の
活性化の拠点としての活用を目的に、民間企業より8名の有志が集い、長浜市の支援を
受け出資総額1億3千万円で昭和63年4月、第3セクター株式会社を設立した。
 建物の修復と復元を進める中、郊外型大型店舗の進出により、400年の歴史を持つ
中心商店街の長年に亘る沈黙と低迷からの脱出と活性化の起爆剤となるべく、伝統
地場産業にとらわれない、また3セクであることから、既存民業を圧迫することのない
長浜から全国へ、情報発信足りえる事業を模索します・・・長浜の町を南北に貫く
北国街道は、かつて江戸日本橋を起点とした五街道に次ぐ重要な道で、多くの武将や
旅人の往来、荷物の運搬で賑わい、秀吉の時代の城下町に始まり、街道の宿場町として
栄えた一帯は、その伝統を受け継ぎながら近年、ガラス文化と融合することによって
長浜独自の歴史を歩み続けている。」  黒壁HPから



 講義はまちづくり役場近くにある曳山博物館の中で行われたが、会場設営まで時間が
あったので1人で博物館へ入り「長浜曳山祭」に使われる山車を見学した。仏壇創りの
職人が作ったという立派なもので、今まで見た、都留市八朔祭りや、島田の帯祭り、また
小布施の北斎館のものより豪華な気がした。歴史のある街には伝統を受け継いだ良い
祭りがある。曳山で行われる子供歌舞伎は本格的なもので、子供の頃から、こうした
文化に接して成長すると、自然に郷土愛や誇りが生まれ、深くアイデンテイテーに刻み
込まれる事だろう。



 昼食は「ふじ石庭」へ立ち寄った。
ヤンマーの創業者、山岡孫吉氏が箱根の旅館の庭園景色に深く感銘を受け、「住吉園」に
富士の溶岩を使って作庭したもので、今は料亭として使われている。「美しき世界は感謝の
心から・・・」。園内で創業者の精神にしばし思いを巡らせるが、高い塀の、またその
上にまで積み上げられた溶岩は、その昔、大八車へ乗せて運ばれて来たという。その量は
ハンパでは無く、料亭と塀の間を、膨大な数の溶岩を積み上げLの字に囲んでいる。

 この景色は、見た事があった、石切り場だ。その昔、松山地区左数の富士急行沿線沿いは
溶岩の切り出し場所だった。厚さ5〜6メートルの溶岩の流末一枚岩を端から切り出し
一つの石積みブロックとして加工していたのだ。その石切り場の雰囲気に似ていた、怖い
くらいオーバーハングし、子供心に冷たい質感で圧倒するように迫る溶岩だった。そんな
溶岩を積み上げ、適所に松を配置し、癒しの空間へと変えた庭師も、また創業者も、富士に
どんな思いを馳せたか気になるところだ。
 石亭弁当を食したが、美味しかったのは言うまでもない。



 2時30分 近江八幡に到着。暑さがピークを迎えた感じで、この日、岐阜の多治見市で
38℃を記録、川のそよ風に助けられながら八幡堀周辺を歩いた。バーム・クーヘンで有名な
クラブ・ハリエへ入店すると、レジには行列が出来て不況を感じさせない。宮内町日牟禮
ヴィレッジと呼ばれる一体も修景がされており、八幡堀周辺の街並みと、まったく違和感を
感じさせなかった。近江商人の経営理念である「三方よし」の精神(買い手よし・売り手よし
世間よし)が、まちづくりにも生かされ、買い手よし→客がまちを訪ねて楽しくて良し、
売り手よし→このまちに住まう事が誇りでよし、世間よし→社会全体で、共生を目指すのが
よしと、姿を変えているのかも知れない。

 堀の水と板塀、漆喰の白壁と瓦屋根。 河端で目を閉じると、荷物を満載した小船が運河を
行き交い、小船から荷物を担いだ若者が倉庫へ続く石段を小走りに駆け上がる、そんな光景が
浮かんだ。420年前、豊臣秀次は信長亡き後の安土城下の民を近江八幡に移して楽市楽座を
作り、商いのまちとしての繁栄の基盤を築いた。その伝統が今日、八幡堀や町並み保存運動を
はじめとする歴史を活かした近江八幡のまちづくりに受け継がれている。

 長浜・近江八幡の歴史の厚みは420年前、富士吉田市の厚みは60年前の昭和だ。
この差は、行かんともしがたい。物まねではないオリジナル、これしかない。
では、オリジナルって何だ? 富士山があるじゃないか!富士山に向かって伸びる道
富士が綺麗に見える街、これは富士吉田にしかない。景観を大切にする街、富士が綺麗に
見える街、富士吉田。 などと帰り道、居眠りをしながらも、真剣に考えた。

 おかみさん会の皆さんとも、また御山倶楽部の面々とも、長い乗車時間のお陰で話が
出来た。その中で、個々に市内で活動する前向きの団体と、横の繋がりを持つ必要が
あるのではないかと・・同じ市内にいてもバラバラに行動していては、その効果は少ない。
3人寄れば文殊の知恵になるのだから・・・。暑い中、弾丸ツアーではあるが、色々学んだ
楽しい旅でした。

 こんなチャンスを頂けた事に感謝である。


オーナー Friday, 7/16 20:08

   姪の結婚式で北海道旅行へ  平成22年7月9〜11日

       

 姪の結婚式参列で北海道トマムへ来た。
水の教会と呼ばれる会場で挙式は行われ、神父さんが祈りを始めた。
 目を瞑り、静かに流れるオルガンの音をバックに神父さんの声が響く。
その時、足元を涼やかな風が入って来る、と同時に鳥達の鳴き声が段々と
大きくなって来た、上手に鳥達の声をシンクロさせてるなと思った。

 神父さんの祈りが終わり目を開けると、さっきまで曇っていた空が割れ
陽が射し込んでいる。いつの間にか、前にあったガラスの格子壁が開き
水に浮かんだ十字架が目の前に近づいて見える。鳥たちの歌声は本物だった。
自然を上手に使った演出に驚かされ感動し、二人がこの教会を選んだ理由が
解かる気がした。
 新郎新婦は、さぞかし思い出に残る結婚式になった事だろう。

  ミキちゃんサトル君、ご結婚おめでとう♪♪ 良い挙式だったヨ。

             北海道・トマムリゾートにて

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 上記、写真と文章は、9日夜と10日の早朝に、持って行ったパソコンで
HPにアップした。それを知った妹は、早速、知り合いの所に電話して
「パインツリーのHPに写真が載ってるから見て!」だって・・・そうだ
こんな使い方もあったのだ。ユーストリームを使えば実況まで出来る時代、恐るべし
パソコン、有難やインターネット。


 −−−− 北海道旅行記 −−−−


  十勝帯広空港

 十勝帯広空港に初めて降りた。十勝平野の農地の真ん中にポツンとあり、のんびりと長閑な
感じのする空港だ。空港ロビーには、 ばんえい競馬の馬 のモニュメントが飾ってあり、その
体型や蹄鉄の大きさに驚いた。予約して置いたトヨタレンタカーにてハイエースを借り
縁者9人が乗り込み帯広の街を走り出した。


  花畑牧場

 まずは、生キャラメルで有名な花畑牧場に向かったが、カーナビの調子が変で、通行止めの
道路へ案内された。それでも何とか近くまで行き、ナビの指示通りGマークへ向かって左折すると
目的地周辺の案内が流れるが進行方向は広大な畑が広がり建物は見えない。車中の皆があれじゃない?!
先程真っ直ぐ来た道の先100メートルに綺麗な建物が見える。Uターンして進むと看板が見えて来た
花畑牧場である。このカーナビは信用ならん!ナビ付きのレンタカーを使った旅で、こんな経験は
初めてだ。

 広大な土地に花畑農場はあった。チーズ工房・生キャラメル工場・ショップ・食事処を備え
お花畑や牧場もあった。街興しに貢献する田中義剛氏の健闘を祈らずにはいられない、是非
頑張って貰いたいものだが、旅行中アチコチで花畑牧場の名前を見て、短期間で事業拡大し過ぎた
感があるのが気になるところだ。
  

  十勝名物豚丼”はなとかち”

 次は、雑誌に載っていた豚丼を食べねばと、十勝名物豚丼”はなとかち”を目指した。
Gマークは帯広駅の左側にあり、その場所に到着すると、ナビは「目的地周辺です!」と
いつもは嬉しいはずの声が、どこか空々しく車内に響く。何処だ!無いじゃん!
ナビに電話番号入力すれば問題なく近くに連れて来て貰えるのだが無い・無い、店がない。
 店に電話を入れ、人間電話案内で誘導して貰い、何とか豚丼にありついた。
半バラ豚丼を食したが、どんぶりの上に炒めた豚肉で円を描き、真ん中にバラ肉を載せたものが
半バラ豚丼で、ウナギのタレに似た焼きタレが特徴だろう。
 時計は13時を回ったいる、がっついて食べた。 
  




   トマムリゾート                                         
       
 以前からトマムは、個人的にも訪ねてみたい場所だった。
と云うのは「雲海テラス」に興味があったからだ。5年程前「星野リゾート」が、この施設を買い取り
営業を始め、夏の営業の集客にと云う事でゴンドラの終点駅に雲海テラスと名付け営業を始めたところ
大当たりし、一夏何万人もの客が訪ねるようになったのだと聞き、興味を持っていたのだ。残念な事に
今回は雨でゴンドラが運行せず、行く事が出来なかったのが心残りだ。

         雲海テラス      山中湖




 富士山に向かい写真を撮るようになって気が付いたのだが、富士五湖も標高が高く寒暖の差が激しいので
雲海が湧き易い、特に忍野村・山中湖は多い。当地でも、似たものが出来るのではと考えた。ただの雲海
だけでは無い。湖水の北側斜面から望めば雲海だけではなく、その向こうに側には日本一の富士山が
鎮座しているロケーションがあり、日本一の御山を望むテラスが出来るはずだ・・・。
 
 − 10日 −


 中田農園

 9時、ミキちゃんサトル君に送られトマムタワーを後にした。
道東道から273号線へ入り北上し、富良野→美瑛→旭川→層雲峡へと向かう。
富良野市山部の国道沿いにあった中田農園へ立ち寄り休憩、メロン・モロコシを食べた。
美味しかったので、土産用にメロン五個詰めを買い求め送って貰った。2頭のポニーが
ばんえい競馬の馬の大きさと比べ、小さくて可愛かった。
    

 富田ファーム                                   

 7年前に旅行した時、富良野を走っているのだが、すっかり忘れていた。
土曜日と云う事もあり富田ファームの駐車場は満車状態だった。丁度運良く、係りが満車の看板を
外したので車を滑り込ませた。ファーム内にはラベンダーが咲き誇っている、花は殆ど一緒だが
河口湖のものより色が濃い気がした。途中、美瑛・色彩の丘に立ち寄った。
   

 旭川・ラーメン村

 昼はご当地ものをと云う事で旭川ラーメンに決まりナビに電話番号をセットしたが
端から、もうナビは信用しなくなっていた。13時を過ぎた頃周辺に到着、付近を捜したら
ラーメン村まで100メートル以内で一番近かった。
 13時を回り昼飯時を過ぎているのに満車状態だ、店前に行列の出来ている店まであったが
「一蔵」へ全員が入れた。ネギラーメンの味噌を注文、どんぶり一杯のネギの下から麺を掘り出し
食べたが、スープと麺の相性も良く美味しかった。

 富士吉田はうどんの街「吉田のうどん村」なんて、出来ないものだろうか!?
分かり易い場所・広い駐車場に集合店舗、お客様には喜んで貰えると想うのだが・・・。


 道の駅・とうま

 旭川を走り、道の駅・とうま で休憩した。
ホント!おばちゃんは良く買い物をする(妹達だが)トイレに寄り、帰りは必ずと言って良いほど
手元に何か土産を持って車に乗り込んで来る。とうまは、でんすけスイカの名産地だそうだが
黒光するスイカは、甘く味が濃くて美味しいのだそうだ。金額は高く普通のスイカの倍以上した。
 残念な事に食べなかった。珍しいものは食べ、何でも挑戦する心情を持つ身としては心を残した。



 アイスパビリオン                                   クリオネ 

 川上町の北の森ガーデン・アイスパビリオンに立ち寄った。
建物全体が冷凍庫といった施設で手袋と防寒着を借りて中に入る。中にはマイナス40℃の体験や
水蒸気が凍って出来るダイヤモンドダストなども見られ、コチラを通る際には是非立ち寄り体験して
貰いたい楽しい施設だ。この夏が終われば、山中湖の自然の中、カメラも凍るマイナス15〜17℃の
世界が待っている。鬱陶しい梅雨のせいだろうか?御山に逢えないストレスからなのだろうか?
マイナス温度の冷凍建物に入り、フラッシユバックのように厳冬の山中湖畔へと導かれてしまった。 
 予定から1時間遅れた16時、層雲峡観光ホテルに到着した。


 層雲峡

 ホテルは朝晩バイキングだった。
驚いたのはバイキングに出掛けた時だった、広いホールの8割以上が中国人?で占められていた。
玄関へ行き、中国人専用ホテルの看板が掲げられていないか見たくなった程だ。ハングルは
聞こえない、話には聞いていた中国人パワーを肌で感じた。今、中国の方は、こうして団体旅行を
楽しんでいるが、やがて成熟し個人旅行へと変化して行くのは、過って日本で農協旅行が個人旅行へと
変化をして行ったように、歴史が証明している。60の手習い、ボツボツ広東語を勉強しないと ネ!
 お客様に来て頂ける施設にするには、まずは会話から、バイリンガルの必要性を感じる層雲峡の夜だった。
花嫁の父と、ゆっくりバーで互いの娘を語り、飲みたいと思っていたが、部屋に戻り引いてある布団の
誘惑に負け、寝てしまった。 
 
   − 11日 −


 273号線ルート            大雪山   

 ホテルの従業員に送られホテルを後にした。
国道273号線、大雪湖から糖平湖を走り帯広へと南下するルートだ。銀河の滝・流星の滝へ
立ち寄る予定だったが、長い大雪トンネルへ入ってしまい、そのままパスしてしまった。このパスが
後々で利いて来るのだ・・・大函(オーバコ)の石柱壁を見学して車は南下した。

 ガソリンのゲージが半分以下に減っているが気にする事もなく、展望台では止まり景色を
楽しみつつ車を走らせた。三国山を越えた辺りからガソリン計を気にするようになり、下りは
ニュートラル走行でエンジンを1000回転に押さえ、省エネ運転に心がけた。いよいよ
ランプが点灯し、目盛りが1つになった。糖平湖を超えたあたりで道路公団の黄色い車を発見
次のスタンドまでの距離を尋ねると、連れに聞き「34キロだっぺ!」さてさて困った、ガスが
持つだろうか? 幸いな事に道路は殆ど下りだった、省エネ運転を繰り返し周りの景色は目に
入っていない、進行方向とゲージだけを見つめる、何ともスリリングなドライブになってしまった。

 北海道はでっかいど〜!ガソリンスタンドもないど〜!悔し紛れに、心の中で叫んだ!

 山から下りて平野になり、牧場が見えた時は嬉しかった、ガソリンゲージは0を示している。
上士幌町の町が見えて来た、ガソリンスタンドは何処に!あったー!エネオスの看板から
後光が発して見える気がした。ガソリンは58リッター給油、ほっとした。
 運転手がこんな気分でいたる事を知ってか?知らずか?関係なく、おばちゃんは、何に使うか
分らぬ竹ザルを買っていた。

 「備えよ常に!」北海道を走る方は、どうぞ、ガソリンは満タンを心掛けるべし!
 層雲峡から上士幌町まで110キロ間にガソリンスタンドは、ありまシェ〜〜〜ン!

  
 帯広市内・食事処ときわ

 道内最後の昼食は海鮮で・・・と云う訳で、ネットで「ときわ」を探し出し、ナビに
セットし向かった。案の定と云うか、やっぱりと云うべきか、最後の最後は1,5キロ離れた
場所に案内された。またもや店に電話し案内して貰った。海鮮は夜メニューで、一般的なランチでの
食事会になってしまったが、ガソリン事件を考えれば最高の食卓だ。その後、車をレンタカーに返却し
空港まで送って貰い、予定通り19時に帰還した。
 翌日、予約した地元トヨタレンタカーにナビの件を進言、改善して貰えるよう話した事は云うまでもない。

 色々あっった。大きいアクシデントは不要だが、旅は小さいアクシデントがあった方が楽しいし
想い出に残る。そして、何より全員が予定通り無事に帰れる事が、旅を最高の旅にしてくれる。

 今回は結婚式参列旅行だったが、さてさて次は何処へ行こうかな・・っと。 


オーナー Thursday, 7/15 07:50

   第24回 富士吉田市商工会議所観光サービス部会
              先進地視察研修旅行


                           長野県小布施町 平成22年6月23日〜24日
   =23日=


 道の駅”オアシスおぶせ”
 
 定刻の8時、一行14名を乗せたバスは会議所を出発、向かうは長野県小布施町だ。
中央道御坂ICから中央道に乗り北上、長野自動車道を通り上信越自動車道小布施スマート
インターで降りるルート。小淵沢パーキングエリアで一度休憩をとり、11時45分に
小布施町に着いた。スマートインターには駐車が併設され、道の駅”オアシスおぶせ”にて
昼食をとった。
 名物の栗おこわが美味しかった。
この道の駅は噴水広場・遊具広場・芝生広場野外ステージ・全天候テニスコート・陸上専用で
表面は全天候型のフルウレタンコース・マレットゴルフ場・ドッグラン広場、そしてミュージアム
まで併設しており、緑溢れるこの場所は町民の憩いの場所になっている事が伺い知れた。
 我が富士吉田市にも”道の駅”があり、○(富士山アリーナ・富士山ビール・レーダードーム館)
◎(郷土博物館・鐘山の滝・散策公園)まであるが、◎に付いては動線が悪く生かしきれていないのが
現状だ。 


 小布施町役場

 役場に早く到着してしまい、市村町長を20分程待った。
役場は図書館も併設されていた。スペースがあれば、こうした考え方は有効だと思う。
子供から老人まで遊びに来れる役所、お固いイメージを払拭するには必要だろう。

 市村町長現る。挨拶もソコソコに、町長は1時間半に渡り、小布施町に対する思いを
静かではあるが熱い語りで話してくれた。高山鴻山を初めとする先祖に先見の明があった事。
街の周囲に農地があり明治時代後半丹波笹山から栗を導入し、栗がこの地に合った事。
葛飾北斎を招聘し、沢山の自書が残っていた事、小布施は5x4キロの小さい町だった事。
30年以上前から街並み修景事業に取り組み成功した事。また、近年ではヨーロッパへ
ガーデニング研修旅行を10年に渡り実施し、凡そ200人以上参加して、今では
110軒の一般家庭でオープンガーデンを創り、観光客と交流をしている。
 一番学んだ事は、行政と住民が協働、すなわちパートナーシップを結び、共に
まちづくりに取り組んで来た事だ。行政の姿勢が頼もしく感じるし、小布施町の民度の高さを
感じた。
 アッチ派・コッチ派で60年、たえず片肺行政で来た富士吉田市に未来はあるだろうか・・・。 


 北斎館                  落ち着いた雰囲気を醸す街並み

 次に場所を北斎館に移し、館長でもある前町長唐沢氏のお話を聞いた。
平成元年に町長に就任以来卓越したリーダーシップで職員・町民をリードし、観光客ゼロの
街から、年間120万人が訪れる街にした方だ。官と民がアイデアを出し合い一体となり
整備を進めた修景事業、北斎館を中心に12の文化施設を含めた町全体を美術館にした構想を
具現化し「外はみんなのもの、内は自分のもの」をテーマに、街づくりを進めて来た。
 住民の自由な発想を支援しサポートする事が行政の役割と考え「汗出せ、すぐ出せ、知恵を
出せ」をキーワードに、成果が上がったら住民たちの成果だと感じる仕掛けを作り出した事が
大変素晴らしかった。
 町づくりは地域の活力であり、住民の参加と行動の連続、ふるさとは自分たちで作り
守って行き、住民の絆でつくり上げられて行く。ふるさとを大切にする心を養う「小布施教育」を
より尊重して来た事が、今日の小布施の繁栄に繋がっている。

 3年振りの小布施。電線も無く整然とした街並み、路面から看板、店のしつらい
隅々まで気配りがいきとどいた街、1軒1軒店を街を、ゆっくりと訪ねたかったが時間が押し
街を散策する時間が無かった事が悔やまれた。また機会を見つけ出掛ける事にしよう。

 やっぱり、良い街には良きリーダーがいた。


 渋温泉                                        外湯巡り一番初湯 古久家   

 予定より30分遅れた18時、渋温泉駐車場に到着した。
横湯川の脇で山裾に長く伸びた湯治場の雰囲気を醸し、狭い道路を挟んだ建物から
湯気が立ち昇っていた。中には木造3階建て宮造りの金具屋があり「千と千尋の神隠し」の
モデルになったと看板が立っていた。我々は、その前にある古久屋へ泊まった。
 勿論!お湯は源泉掛け流しの本物だ、迷路のような通路1階には、湧き出した源泉を
見る事が出来る窓がはめ込まれ、ライトUPされた足下を、滾々とお湯が岩肌を流れていた。
 鍵の付いた板プレートを持って外湯めぐりも楽しめたり、駐車場の脇にある公園では
蛍の乱舞も見られたという、折角、近くまで散歩しに行ったのに手前で帰って来たのが悔やまれた。

   =24日=
   

  松代町象山 大本営跡  

 9時、渋温泉を後にし松代町の大本営地下壕へ向かった。
終戦間近に、皇居を移す事を本気に考えた大本営は岩盤が固いのを選考基準として、この地を
選び、朝鮮人7000〜8000人を拉致しトンネル工事に当らせ、ほぼ完成させたものだ。
 拉致は北朝鮮だけのものではなく、戦時中日本もやっていたのだ。

 第二次世界大戦末期、ソ連軍に拿捕されシベリヤの強制収容所へ送られた日本人は60万人とも
いわれている。1945年から1956年にかけて、抑留者47万人の日本への帰国事業が行われたが
1945年から1949年までの4年間だけで、ソ連内での日本人捕虜の死亡者は6万といわれている。
父親も抑留者で1949年に帰国した。

 ドイツ人拿捕者も終戦時、約三百五十万人、うち百十万人がソ連内で死亡した。
辞書を調べると拉致は無理やりに連れて行く事とあり、抑留は一定の場所にとどめて置く事とある
拿捕し抑留も、拉致し抑留も、人間を捕まえ自由を奪い、強制労働する事に変わりない。戦時の
狂気と言ってしまえばそれまでだが、有史以来世界のどこかで今も続く戦争、人間とは何と
おぞましい生き物であろうか。
               

 山寺常山邸

 駐車場へバスを止め、大本営跡まで新しく舗装された道路を歩いたが、路面は平らで
色付けられた歩道が歩き易かった。道路脇には歴史的建造物として復元された山寺常山邸があり
松代の武家屋敷庭園の特徴を基調とし、散策や学習ができる庭園として整備されていた。 


 旧樋口家住宅

 その後、真田家の宝物館へ立ち寄ったが、タイミングが悪く燻蒸作業中でお休み、入館
出来なかった。裏の庭園を見たり、文武学校を見学した。松代は真田氏と佐久間象山が
有名だ。真田氏は智略を尽くし戦国時代を駆け、象山は幕末を精一杯生きた松代の英雄だ。
そんな思いを残す文武学校が今も使われており、丁度、居合いの稽古を終え帰路につく
2人の老士と行き会ったが、眼光鋭い一閃が印象に残った。


 松代藩 文武学校


 信州そば蔵長野店



 曹洞宗 安楽寺

 信州の鎌倉と呼ばれる安楽寺・北向観音へ向かった。
梅雨の晴れ間を狙うような暑い日差しの中、額に汗して坂道を登った。まずは安楽寺へ
杉木立の中に入ると、ヒンヤリとした風が心地良く後退したおでこを流れて行く。緑に包まれ
奥へ行くに従い静寂な時が流れる、良い感じのお寺様だ。
 国宝八角三重塔の様式は珍しく、日本の古来からある塔とは見た目も違っておりインドの
スツーパを起源としているのだそうだ。屋根も瓦葺ではなく桧の皮を使っているものと思われ
苔生した感じが、周囲の景観とマッチして落ち着いた雰囲気を醸していた。

  
 北向観音

 次に、北向観音へ向かった。本尊は千手観音菩薩。御堂が北に向いていることから通称
北向観音と呼ばれる。御本堂が北に向いてるのは、観音様の「北斗星が世界の、よりどころと
なるよう我も又一切民衆のよりどころとなって済度をなさん」という、お告げによるものだそうです。
善光寺と向き合っているので、「裏善光寺」とも呼ばれ、南向の長野の善光寺に詣り「未来往生来世の
利益」を 願い、北向観音に詣り「現世の利益」を祈願します。「片方だけでは片詣り」になると
されています。(HPから)
 お寺の右手には巨大な桂の木があり、川口松太郎の名作”愛染カツラ”を生み出すヒントに
なったとも云われている。その右手の崖には温泉薬師信仰から薬師如来を祀る瑠璃殿があり
崖に寄り添い下から上に伸びた支柱柱が印象的で、何ゆえ伽藍を高い場所に置くのか疑問を残した。

 鄙びた温泉街だが湯質が違い、湯量豊富な源泉を持つ渋温泉や、信州の鎌倉と呼ばれる
安楽寺周辺、いち早くまちづくりのウエーブを起こし大成功した小布施町、長野県は山また山の
広大な県で中山間地域も多いが、その懐も深く、奥行きの深かさ、また豊かさを感じずには
いられなかった。

 東京から90分、富士山・富士五湖もありロケーションもアクセスも恵まれた富士吉田市だが
街は泣いている。街は人が集まるから街になる、虫歯のようにシャッターを下ろし、点々と
欠けた商店街。人が集まる仕掛けを創らなければ・・・仕事を創り喜んで働ける場所がなければ・・・
懐が豊かでないと笑顔が生まれない。その為には何をすれば良いか・・・悩みは尽きない。


オーナー Monday, 5/24 18:53

  ・・・・・・・・パインツリー研修旅行・・・・・・・・・・・・

               韓国・ソウルを訪ねる旅   平成22年4月21日〜23日    

 従業員のおばちゃん達が韓流の流れに乗ってしまい、話が盛り上がり、等々
韓国へ旅行する事になってしまった。余りアジアは好きではないので、今まで
行った事がない。当初は羽田経由金浦空港の予定だったが、話が進む内に
羽田便が取れずに成田空港→仁川空港便になってしまった。羽田空港まで送迎を
すれば良いやとタカをくくり、韓国へ行く積もりは無かったが、成田空港まで
送るんだったら、エイ!一緒に旅行に出掛けてしまえ!てな乗りで韓国旅行は
おじん1人・おばちゃん7人・姪っ娘1人の計9名での出発と、あいなったのだ。 


  初めてジェットから撮れた富士山・河口湖も見える      仁川空港    

 まだ暗い早朝、5時集合出発した。
途中1回トイレ休憩を入れ、7時10分成田空港近くの光パーキングへ到着し空港へ
送って貰った。久し振りの成田空港、人間ウオッチングしているだけで1日いられそうな
空間だ、行き交う人それぞれが旅の目的を持ち、街中で観る人々と目の輝きまで違う
そんな気までして来る。チェックインを済ませ出発時間迄、食事やショッピングで
時間を潰した。
 
 10時、快晴の成田空港を離陸した。
水平飛行に入ったところで乗務員に、搭乗機は富士山のどちら側を飛行するのか尋ねると
右側と教えてくれた。後部に空席があったので座席移動の旨をお願いすると、幸いにも
窓際が空いており、そこへ陣取った。一息入れ、何処へ行っても富士山から離れられない
自分に苦笑した。何回も飛行機に乗っているが、今までシャッターチャンスが無かったが
今回は狙えそうだ、雲間から見える建物が減り、青黒い山々の間に相模川がうねっている。
 その向こうに「見えた!」御山が翼の下に見えた。
ルートも良い。近過ぎず離れ過ぎず、機体は御山の右側を飛んでいる。「いいわ〜!最高!」
河口湖まで確認出来るコンデションだ、夢中で撮った。旅の初っ端に念願成就、この
写真が撮れただけで、落下傘を着け飛び降りても良い、そんな気にまでテンションが昇る
フライトだった。
 
           
    国会議事堂   免税店前  徳寿宮前(トクスグン)  ソオル市庁舎前 

 12時30分 駐機している飛行機が小さく見える程広大な仁川空港に降りた。
出入国審査審査を受け「アニョハセヨ!」と、係官に挨拶したが頷くだけだった。
挨拶すると、南の国の出入国審査官はスマイルを返してくれるが、日本も韓国も愛想が
悪いのは国民性だろうか・・・。
 
 13時 迎えのJTBのバスに乗った。
ガイドは女性でキムさん、一通り注意事項やら観光案内をしているうち、14時30分
一行は宿泊先のコリアナホテルに到着しチェックインした。部屋のカーテンを開けると
目の前の建物は証券取引所で、左右の建物にはテレビの大型モニターが映像を映していた。

 一息する間もなく、近くの免税店へ直行だ。
その後、ソウル市庁舎前広場を通る、この場所は2002年日韓共同で行われたワールドカップの際
紅いTシャツで埋め尽くされた場所で、庁舎の壁のデザインは近づいて見ると1枚づつの写真を
張り合わせたもので構成されていた。ロッテホテルの前を歩き、一行はコスメ通りを目指した。
目的は一つ、お買い物。
 
 建物前に何やら行列が出来ている、興味津々のぞいてみるとナンタの劇場があった。
情報誌にはナンタの劇場はミョンドン郊外にあり、今回の行程には入れてなかったが、後で
最近出来たものと判った。路上で観るか観ないか協議し、19時劇場前集合に決め、一行は
雑踏の中へ消えて行った、勿論、目的はお買物だ。17時開演、滑り込みでセーフ。1人
60万ウオン、そこしか空いていなかったビップ席で家内と二人ナンタ(乱打)を観た。
 結婚披露宴の料理を創る厨房での出来事と云う設定で、面白可笑しく厨房内の器具を
りズミックに乱打し、野菜が舞った1時間半、一度はお薦めの舞台だ。


    オデガム食堂(海鮮料理店)
 
 舞台が終わり外に出ると小雨が降っていた。
屋台で透明傘を買い、海鮮料理のオデガム食堂へ皆と合流し向かった。
透明なスープに野菜やカニ、貝やアンコウなどの具を入れ煮て食べる海鮮鍋は
不味いはずない。また生タコのサシミも注文しコチュジャンを付けて食べると
口の中でモニョモニョ、ワー!キャー!言いながら食べるのが楽しく、お腹も旅情も大満足。
ホテルへの帰路、街を観ながら徒歩で帰る30分。長い一日と重くなった体に、心地よい旅の
疲労感が増し、ホテルへ帰ると即ベッドイン!22時にはグッスリと眠ってしまった。
 

    コリアナホテル 3F 栄レストラン   ホテル前証券取引所

 8時ロビーに集合した。
朝食はホテル3Fの榮だ。あわび粥セット2、7万ウオン ホテルの食事は何処の国でも
高いが、あわび粥は初めての味で美味しかった。



    昌徳宮(チャンドックン)世界遺産

 22日は、ネットのソウルナビで予約し、1日バスをチャーターしてソウル市内を回る事に
しており、9時前にホテル前にバスは来ていた。嬉しい勘違いがあった。バスの運転手が
ガイドを兼任していると思ったら、ガイド(パク)さんが別に添乗していた。バスと運転手込で
26万ウオンで10時間の貸し切りだ、これは絶対に安い、お薦めだ。
  
 まずは世界遺産登録の昌徳宮(チャンドックン)へ行った。 
1997年にユネスコ世界文化遺産にも登録された宮殿で、1405年、正宮である景福宮の
離宮として建造された宮殿で、約270年に渡って李氏朝鮮王朝の政務が行われた王の御所。
建物や自然の維持管理が行き届いており、山の斜面を利用し豊かな自然をそのまま生かして
造った美しい庭園が見事だ。中でも粛宗が創ったという愛蓮池と呼ばれる池には「私が蓮の
花を愛するのは汚い所にあっても清く美しい強さを秘めながら、世俗に染まらない君子の
姿と似ているからだ」という行が心に残った。好きな韓流ドラマ、チャングムの誓いの
1シーンみたいに、今にもチャングムが笑顔で建物の裏から駆け寄ってきそうな気がした。
 この場所は、時間を掛けて裏山までユックリと回って欲しい場所だ。



    景福宮(キョンボツクン)衛兵の交代式 


 次に、11時から行われる衛兵の交代式を観に景福宮へ行った。
衛兵が実にカラフル、赤青黄色の原色を使い綺麗が第一印象、若い男子の隊列に
我が一行中の小佐野さんは、終始笑顔・笑顔であった。


  青瓦台・大統領官邸

 11時40分、青瓦台・大統領官邸へ着いた。
よくテレビに出て来る青い瓦が印象的な建物、近づく事が出来ないので、近くの広場で
記念撮影だけ撮った。只のおしゃれなサイクリストかと思ったら、ポリスとタグが付いており
警察官だった。広い場所の警護には、こんな取り組みも自然態で良いと思う。


      明洞餃子店     コスメ通り
 
 昼食は明洞(ミョンドン)市内にある明洞餃子店へ入った。
店は人で溢れ、15人以上並んでいるが回転が速く、10分程待っただけで席に座れた。
餃子と云うより、小籠包で肉の包み蒸しだ。ラーメンに似たカルグッスは時間煮込んだ
鶏ベースのスープで自家製麺を使い、鶏ミンチ、ワンタンが乗ってかなりのボリュームだ。
前に座った計子ちゃんは、食べても食べても減らず、結局食べ切れず半分残してしまった。


     南大門市場

 13時、南大門市場に降りた。
平日の午後ではあるが、かなりの人出があり、歩いていると、あちこちの出店から
声が掛かる。人の良さそうなおっちゃんの所で足を止め、韓国海苔を1,5万ウオンで
で12ケ入りを2つ買ったが、その後行ったロッテマーケットの方が8千ウオンで
安かった。品物の違いは判らないが、商品は値段が付いている方が良い。
 通りから一歩入った幅1メートル弱の通路に、行列の出来る食堂があったり
色んなものを売っていた。次回来るような事があったら表ではなく、こう云う通路を
巡ってみたい。 



     南山韓屋村(ナムサンゴル・ハノク・マウル)    

 15時、南山韓屋村へ入った。
ここは古い建物を移築し、昔の生活の様子を見学出来るようになっている施設で
地元の小学生が遠足で訪れていた。家の下に釜戸があり、そこで火を焚くオンドルを
初めて見た。部屋内は暖気が逃げないよう、しっかり紙で目張りされていた。

        
  ロッテマーケット    ドウータマーケット

 16時 ロッテマーケットへ降りる、またまた買い物だ。
その間、暫しバスの中で眠った。おばちゃんパワーに、とても付いていけない。
30程休み、若者のファッションの聖地ドウータマーケットへ、中は、おしゃれな造りに
なっており、おじさんは付いていけない空間である。さっさと店外へ出て、出店で買った
イカに熱を加え伸ばしたノシイカが美味しかった。 
 


      ソオルタワー

 18時、夕方から暗くなる時間帯を狙ってソウルタワーに向かった。
丁度満開に咲く、桜並木の山道を上ると、黄色のレンギョウと桜のピンク色が
実に綺麗だ。駐車場にバスを止め、急坂を10分登るとタワーの下に着いた。
チケットを買い、一気に展望台までエレベーターで昇ると眼下に漢江がうねっている。
足元の山をピンクの帯が飾っている。展望台をグルッと一周すると360度の展望が
広がる。思い思いに夕暮れを待った。展望台で特筆すべきはトイレだ、写真の通り
小便器の回りが透明ガラスになっており、高所恐怖症の方は、まず、用を足す事は
出来ないだろう。また、7センチ角のタイルにコメントを書き、壁に貼り付ける
記念のモニュメントも興味深く面白かった。
 暗くなると街灯り、車のランプが連なり、まさに宝石箱をひっくり返した様で
ソオルタワーからの眺めは、是非観て貰いたいポイントだ。 


       ノビチプ焼肉店

 19時30分、バスでコスメ通り近くまで送って貰い、予約したノビチブ焼肉店へ
入店した。かの鳩山氏も来店した事があり、他のテレビで見る顔も玄関脇の
写真マネキとなっている。「こんな店には来とう無かった!」が、ガイドのパクさんとの
話の中で、こんなふうになってしまった、反省である。
 リブロースの巻いて出て来るヤツが美味しかったし、チジミもフワフワして美味しかった。
帰り際、店にお支払いした金額は、2日間バスをチャーターしてもあり余る程の金額だった。
高ければ旨いは当たり前、安くて旨いお店を探さなくては・・・ネットハードユーザーの
名がすたるってもんだ(反省)

 21時、店の前で解散した。
どうやら、おばちゃん達は、まだまだ買い物タイムが欲しい様で、コスメ通りの人込みの
中に消えて行った。最後にホテルへ帰った人は10時30分を回っていたらしい。
 
 そのままタクシーで家内とホテルへ帰ったが、遊び足りず一人散歩に出掛けた。
ライトUPした清渓川(チョンゲジョン)を見ようとホテルから出ると、早速ポン引きが
やって来た。「良い娘いますよ・・・」危ない・遊ない!丁重にお断りして地下道へ降りた。
信号近くだったので、まだ多少、人が行き交っている。清渓川の端から橋まで歩きUタ〜ン
して来た。川の傍にはカップルが多く、一人で歩いても絵にならない。

 帰り道は証券取引所近くの地下道を利用する事にした。
下って行って驚いたというか、納得した。やっぱりソウルにも浮浪者がいた。寝ているもの
2〜3人で車座になり酒を酌み交わしているもの、かなりの数で足早に通り抜けたが
チョット怖い体験だった。
 ホテルの玄関向こう側では、まだポン引き殿が客を拾っていた。

 23時、テレビを見ながら1杯、シーバスのオンザロックを飲むと、直ぐに
夢の中へと連れて行ってくれた。 
 

 ベストウエスタン・ニューソオルホテル2F 松竹粥店

 8時、ロビーに集合した。
今朝は、近くのベストウエスタンH で朝粥だ。地下道を抜けると直ぐ近くにあった。
1万ウオンのアワビ粥を食べたが、残念な事に、ひとかけらのアワビも入っていなかった。
決して不味くはないが、昨日食べたアワビ粥には小さなサイコロ状のかけらが何個も
入っていた、やっぱ、料金の差は・・・この様に判り易くないといけない。


       清渓川(チョンゲジョン)             季将軍像・奥青瓦台  コリアナホテル前

 食事の後、ベストウエスタンから清渓川を散歩を兼ね、見に行った。日中の清渓川は
昨夜と一変し、人口河川そのままだった。未来型?人口河川だろうか?日本人には
こんな河川を創る感性の人間はいないと思うし、また、いて欲しくないと思った。
日本人はDNAの中に深く、自然を大切にする事を刻んで来た民族なのだから。


 仁川国際空港高速道路  空港        3F フードコート

 10時、キムさんが迎えに来て、バスに乗り込んだ。
「楽しかったですか〜?」「ハ〜イ!」おばちゃん達は明るく答える。
到着した時軽かった旅行カバンはズシンと重く、バスに乗せるにも腰を入れないと
持ち上げられない程だった。想い出とお土産を満載したバスは一路、仁川空港へと
向かった。


         4Fターミナル         翼の上に月

 11時30分 空港へ到着。
カバンを預け昼食を取る事にしたが、フードコートが広かったり、食べるものが
無かったりで行ったり来たりし、結局、最初の場所に戻り注文となったが、注文した
石焼ビビンバが焼きが足りずに温いビビンバ。本場でこんな不味いビビンバとは・・・
最後に焦げが着かずに落ちが付いた。
 食後も、おばちゃん達はフライト時間までお買い物、凄いわ♪

 14時30分離陸し、1時間半のフライトで16時には成田空港に着陸した。
税関を通り抜け光パーキングに電話すると、パインツリー号を配車してくれた。
積み替える手間が無いので、このシステムは助かる。

 19時30分 車は大した混雑も無い首都を通り抜け、パインツリー庭内へ帰った。
近所の中華料理店「蓮」で打ち上げをし、皆全員が無事帰った事を祝い解散したが
 今回の旅行で、一つ残念だった事がある。
それは、携帯が使えなかった事だ。直前の1週間前にドコモのエクスペリアに買い替え
持って行ったが、カメラだけしか使えず、まさに3日間、情報の島流しにあった感じだ。
携帯を持ち始めてから今日まで、3日間も携帯が使えなかった事など今まで無い。
 もし良かったら3日間携帯の電源を切ってみたら・・・恐らく手元にあれば直ぐにも
電源を戻す事だろう。自分が携帯依存症になっている事に気付くだろう。
 
 買った時に、ソウルへ持って行くのでローミングは必要無いかと尋ねると、そのまま
使えますとの事だった・・・のにである。「DOCOMOのばかやろー!」と心の中で
叫んでみたがしょうがない。帰って来てからドコモに行って尋ねると「そんな筈は無い
そのまま繋がります。」だって、どなたかエクスペリアをお持ちの方、ソウルから繋がるか?
繋がらないか?是非、教えて欲しいものだ。

 ムクゲの花五つ星のコリアナホテルのバスルームには、日本のコンセントがあった。
空港で2種類のコンセントSE型とC型を買ったが、こちらも両方使えるので買う必要は
無い。また、メールを打とうとホテルのビジネスPCを有料で借りて使ったが、こちらも
メールを送る事が出来ずに、目にあった。ついでに、繋がりもしないのに半額料金を取られ
踏んだり蹴ったりだった。
 これも旅行に花を添えたと、無理やり納得させる、ソウル旅行であった、おしまい。

       

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